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 16年国土交通白書 
たまには技術士試験に関連した話題を・・・・

平成16年国土交通白書の骨子が示されたようです。(http://www.kuniomi.gr.jp/chikudo/news/2005/n_170225.html
サイトには、「新・白書は平成16年に多発した、豪雨・台風災害や地震災害を踏まえ、「災害に強い国づくり」を1つの柱としています。また、地球大交流の時代の中で「東アジアとの新たな関係と国土交通施策の展開」をもう1つの主要な柱としました。」とあります。

建設一般の問題予想はもう少し先にするとして、やはりあれだけ自然災害が多発するとこういうテーマになってきますね。
定量的データはまだ手元にありませんが、ここ数年の雨は「降らないとなったら何日も降らない。降るとなったらやたらと降る」という印象があります。(あくまで印象です)
そういう中で、特定都市河川法などでは洪水を押さえ込むのではなく、中流域の圃場に遊水池機能を持たせる等した、「災害と共存する」ともいえる方向性が示されたと私は思っています。また蛇籠や聖牛などの工法が注目されたりもしているようです。
災害と付き合うにはできるだけ定量的なリスク分析と評価、それらの情報提供を前提とした「自己責任」(インフォームドコンセント)などが求められるとともに、そういった住民意識の変化を前提としたインフラ投資の変化もありえると私は思いますが、そういった時代へ少しずつ進みかけているのかもしれませんね。

また、東アジアとの新たな関係を主要な柱としたのも印象深く思います。特にジリ貧的風潮の強い土建業界では、新技術・新工法をひっさげて中国にマーケットを求める動きが出てきているように思います。中国が「安い労働力を持った生産地」だけではなくなってきていることを強く感じています。

話題提供が2つになってしまいましたが、皆さんのご意見がうかがえると幸いです。

 
APEC  ++.. 2005/04/01(金) 17:21 [1753]

 
戦国時代の武田信玄や加藤清正は治水の名手として有名です。高知県では霞堤だったかな。
http://www.disaster-i.net/term/kasumitei.html
それと水制工、これは木や石で作られています。明治には木曽川のケレップ水制(くい打ちを行ったうえに石や土で盛り土したもの)が有名ですね。http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/tsushinbo/pdf/03kerep.pdf
信玄は合流点では水をぶつけ合わせて減勢するなど、水をもって水を制するという、合理的な考えを実行していたとのことです。
 固めるのでなく川の中も工夫することが広がっていくでしょう。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/02(土) 21:22 [1767]

 
> 建設一般の問題予想はもう少し先にするとして、やはりあれだけ自然災害が多発するとこういうテーマになってきますね。

昨年は災害の当たり年でしたから、無視はできないでしょうね。

> そういう中で、特定都市河川法などでは洪水を押さえ込むのではなく、中流域の圃場に遊水池機能を持たせる等した、「災害と共存する」ともいえる方向性が示されたと私は思っています。また蛇籠や聖牛などの工法が注目されたりもしているようです。

特定都市河川法は2年ぐらい前ですし、伝統工法もここ数年注目されてきていますから、あまり新規性はないように思うのですが。

> 災害と付き合うにはできるだけ定量的なリスク分析と評価、それらの情報提供を前提とした「自己責任」(インフォームドコンセント)などが求められるとともに、そういった住民意識の変化を前提としたインフラ投資の変化もありえると私は思いますが、そういった時代へ少しずつ進みかけているのかもしれませんね。

私は当てずっぽな予想だと、これのテーマが本命だと思います。
ズバリ、キーワードは、「想定」でしょう。これしかありません!

何が起こっても「想定の範囲内です」と涼しい顔で答えるホリエモンが多くの人の目に焼き付いていることでしょう。ハッタリかも知れないが、あれだけ堂々としていられれば大したものです。

それに比べて、どんな災害が起こっても「想定の範囲外です」と答える人たちの、なんと情けないことか!こんな人たちに安全を守ってもらっていると思うと、ホント心細くなりますよね。

でも、あの人たちも、「想定の範囲内です」と言いたいに違いありません。ところが、そんなこと言っちゃうと、「想定していたのに対策していなかったのか!」なんて裁判に訴えられてとんでもない責任を負わされちゃうから、言いたくても言えない…。
しかも、「想定できなかった」理由を、学識経験者を動員してしっかり固めておくことは忘れません。「想定できたんじゃないか!」という追求は、しっかり「想定」して対応してるわけですね。

なぜこんなおかしなことになってしまっているのか?それは、一部の人が勝手に「想定」して勝手に「対策」を行うからじゃないでしょうか。災害に対応する「責任と権限」が一部の人に集中しちゃってるってことですね。しかし、全ての災害を完全に防ぐなんてことはできない。そうなると、手が回らない部分は「想定できない」ということにして、あとは「知〜らない」と責任を放棄するしかない…こんな構図でしょうか。

これに対してここ数年新しい考え方が提唱され、変化の兆しが見えてきています。それらは、「リスク分析」、「情報提供」、「自己責任」、「地域の連携」、「防災から減災へ」といったキーワードで表現されますが、それらを包括する概念が「災害との共存」と言えるのではないでしょうか。

災害をどのように「想定」し、どう「対処」するかは、住民や関係者全てが自分たちの問題として責任を持って取り組まなければならない…なんとも教科書的ですが、落ち付きどころはこんなもんでしょう。

なお、私の試験予想は、当たる確率が災害並みに低いと思われますので、取り扱いは自己責任でお願いしますネ。

社会科学者  ++.. 2005/04/04(月) 19:39 [1782]

 
『私は当てずっぽな予想だと、これのテーマが本命だと思います。』ホー!!
いやいや、久しぶりの鋭い切り口に感嘆して・・・・恐れ入りました。想定ですよね。ということはリスクマネジメントせよ、と、こうおっしゃるわけですね。

私も東大出をはじめとする官民合わせたエリートのかたがたが、会社の不祥事に深々と平身低頭されるのを見ちゃおられないと思う一人です。何故ああなるのか。いま、日本の管理システムは上に行けば行くほど、みこしの上に載って担がれるをよしとする古い伝統にしがみついているからです。
 1990年ぐらいまではそれでよかった。しかし、バブル崩壊後それではすまないことがいよいよはっきりしてきた。にも拘らず、そうした体制でしか、経営者も社員も体制の維持方法を見出しえなかった、というのが実情ではないでしょうか?

 これを解決しようとすれば、権限と責任、職務、この3つを明確にしてその上にリスク管理を徹底する以外に道はありません。
(思わずつられて断言します。^^)

こうした取り組みを徹底することが経営者だけでなく、社員からパートまでを含んだ国全体を救う唯一の道だと確信します。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/04(月) 22:58 [1783]

 
追伸、リスク管理以外にも自己責任が加わるわけですね。以前、ライブドア議論の時、井戸端会議的世論を形成しても十分対応できる社会になったといいましたが、こうした世論形成が問題を生じないだけでなく、価値観が多様化し高学歴化と情報化が進展した21世紀の日本では、十分可能なことだと考えます。その意味で、必要な情報や誰にも公開して差し支えない情報は、積極的に公開することにしたいですね。
魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/04(月) 23:45 [1788]

 
社会科学者さんに同感です。
今日び「絶対に大丈夫です」なんて言ったら失笑ものですからね。

もともと災害対策などというものは「何年確率」とかいった形で一定のリスクを持っているのであって、それを公言して地域住民が納得して、行政に守ってもらう部分と自ら(個人で、あるいは地域で)守る部分をよく認識するということだと思うのです。
蛇足ながら、「自己責任」は後者の部分、すなわち「自ら守る」べき部分をどこまで備えるかということに伴って生じる責任だと思います。これが今は少し行き過ぎている(自己責任を過度に求めすぎる)ようなところがあるように私は思っていますが、それは時間とともに適当なところに落ち着くのでしょう。
また、リスクをどこまで定量的に把握できるか、すなわちリスク分析に関わる技術も必要となってきますね。
ちょっと時間がないので中途半端ですが、ここまでとします。

APEC  ++.. 2005/04/05(火) 09:21 [1789]

 
人は自然の猛威に物理的に対抗できません。したがって、ソフト対策が重要になってきます。

災害論になると、必ず書いてあるのが、「高齢者等災害弱者への対応が重要である」。で終わり。
高齢者は大災害の経験者です。
高齢者は災害弱者と言うが、情報量(ソフト)から考えると必ずしも災害弱者ではない。

30年くらい前、名古屋で結構大きな地震がありました。
濃尾地震の経験のあるお袋は、揺れると同時に、はいずってストーブを消した。私は、おもむろにタバコに火をつけた。もちろんストーブはそのまま。

また、東海豪雨の際、愛知県小原村において、第1次、2次小原村災害の経験者は、局地的な情報が不十分な中、いち早く避難した。
「おじいさんが、あまりうるさく言うので、仕方がないので公民館へ避難しました。もう少し後なら逃げれなんだ。よかった。」

災害経験者は、いち早く何らかの行動を起こす。
災害未経験者は、なすすべを知らない。(当たり前のことだが、現時点より先は、経験がないので予測できない。)
学習しただけでは、目の前で発生する事態に対処できない。

このことから、高齢者の持てる経験知を、地域の防災教育の場で活かす、ソフト対策が必要かと思います。


雑魚  ++.. 2005/04/05(火) 10:35 [1790]





 国歌、国旗 
例年のごとく、東京都の卒業式で、日の丸、君が代が問題になりました。
国歌、国旗に敬意を表すことは、個人の自由で、他人から強制されるものではない。したがって、起立をしない。というのが今回の主張でした。
世界の常識では、主義、主張にかかわらず、国歌、国旗に対して、起立して敬意を表するのが礼儀です。
日本の若者は、他国の式典で国歌の吹奏が始まり、周りの人が一斉に起立したとき、ポケタンとしている人もいるとのことです。恥ずかしい限りです。
ちなみに、私は、左でも右でもない現実派です。

 
雑魚  ++.. 2005/03/27(日) 16:36 [1716]

 
私も、毎年この季節になると雑魚さんのようにいろいろと感じる者のひとりです。
そこで、二つ提案してみたいと思います。
@「きぃみぃがぁあぁよぉおぉわぁ〜」→「わぁれぇらぁのよぉおぉわぁ〜」と歌詞を変更する。
A歌詞の「君」=「われわれ日本国民全体」という解釈とするということを、法律で定める。
このようにすれば、左の方は納得しないでしょうか。逆に「われら」とすることにより、「全体主義」を想像してしまうのでしょうか。
私は、純粋に桜の咲く美しい日本に生まれてよかったと思ってます。(地震とか災害も各地でありますが。被災された方にはお悔やみ申し上げます。)
そんな自分が生まれた国を純粋に愛していいのではないのでしょうか。
Jリーグはほとんどみませんが、この前のイラク戦を見て応援するのは、純粋な愛国心ですよね。
しかし、「君が代」となるとなぜか抵抗がありますね。この前の選手を見てても、半数ぐらいは歌ってません。彼らも抵抗があるのでしょうか。
このような提案に対して、心やさしい天皇陛下なら「日本国民が堂々と国歌を歌えるならどうぞ変えてくださいよ。」と言ってくださるような気がしてなりません。ですから、右の方もどうでしょうかね。
自分の国を愛せない国民の将来が不安になります。

ちなみに、私も、左でも右でもない現実派です。
みなさんはいかがでしょうか。

TN  ++.. 2005/03/29(火) 01:54 [1722]

 
国家に対して自分が何をできるか,国家が自分に対して何をしてくれるか,義務,権利,安全保障,これらが曖昧で,未だ古代国家の影を引きずっている日本において,国旗・国家に忠誠を誓えないのは,当たり前か.
君=国民云々の議論・提案は,国語の勉強をやり直したほうが良さそうである.

武士  ++.. 2005/03/29(火) 12:53 [1728]

 
国歌である君が代は、天皇制国家に対する忠誠を一国民として誓うという歌詞内容である事から問題があります。私は、民主主義国家である日本に忠誠を誓うことにやぶさかでは有りませんが、天皇制国家への忠誠はごめんこうむります。
 そこで提案ですが、歌詞を無しメロディーだけにするというのはいかがでしょうか?これなら私は抵抗無く受け入れられます。歌詞がない国歌というのはよその国には無いのでしょうか?

魔法使い  ++.. 2005/03/30(水) 10:57 [1732]

 
大人の主義主張はともかく
子供達には
「お上のゆうことを聞かないと痛い目に遭う」
「権力に人は屈するもの」
という強いメッセージにはなったでしょうね。

とにかく大人のこうした主張には霹靂します。反対に小学校時代に担当の先生が「天皇もアパートに住めばいい」なんて授業中に主張してましたがこれも最悪。

ただそれほどまでに国歌、国旗っていうシンボルや偶像崇拝が大事ですかね?トップダウンで植え付けるものなの?
愛国心というのは結果論ではないでしょうか?

キリストや仏陀もマホメットも強く偶像を否定した。そういえば日本の神々も偶像ってあまりないよね。それに対するデメリットがわかっていたんでしょうね。

とにかく今はそれが最優先の問題?子供達はあきれてるよ。そんな簡単に先生を処罰できるならもっと社会問題を起こしている問題教諭を処罰公表してよ!変態社会人をなんとかしようよ!もっと教育現場は現実として問題山積みなんだから。。

たとえば教育問題での最優先事項と考えてみるとこの国歌国旗への敬意表明って順位はどれくらいと考えますか?私はずっと下だな。

ぶひ。  ++.. 2005/03/30(水) 16:38 [1733]

 
現行憲法では,天皇は国民統合の象徴ですから,「きみ=あなた」でも「きみ=天皇」でも同じではないでしょうか。
さて,魔法使いさんは,「歌詞を無しメロディーだけにする」とのお考えですが,私は逆です。歌詞を残して曲を変えるのがよいと思います(変える必要はないが,どうしてもというのであれば)。
歌詞を残す理由は,第一に,君が代は和歌としてレベルが高い,第二に,平和を願って詠まれた歌である,からです。世界の国歌を見てみると,たとえば,フランスの国歌はこうです。「さあ,祖国の子供たちよ,栄光の日がやってきた/我らに向かって,暴君の血塗られた御旗がはためいている/血塗られた旗がはためいている/戦場で,どう猛な兵士たちがうごめいている音が聞こえるか?…(書くに堪えないので以下略)」のように,きわめて好戦的です。アメリカもフランスほどではないが,まあ同じようなものです。これらに比べると,わが国の国歌の何と穏やかで上品なことか。          
曲を変える理由は,歌詞と曲とがバラバラである点です。今の曲だと「千代に八千代にさざれ」でどうしても息継ぎが入ります。そして,「石の巌となりて」と続きます。本来ならば,「千代に八千代に」で息を継ぎ,「さざれ石の巌となりて」と一息に歌うべきです。そうしないと意味不明の歌詞になります。「千代に八千代にさざれぇぇぇ石の巌となりて」のように息継ぎを入れない歌い方もできますが,相当苦しいです。窒息しそうな思いをするくらいなら,いっそ曲を変えるのも良いのでは,と思うのです。

ねぎ  ++.. 2005/03/30(水) 17:29 [1734]

 
昔、ある学者のコラムを読みました。
君が代の元歌は古歌からきています。
古歌では、君は文字通り貴女のことです。:(いろいろ解説がありましたが、):結論は、君が代は恋歌です。
他国の国家は、敵をさんざんやっつけた。というような、勇ましい軍歌を国歌にしている例が多いのに、恋歌を国歌にしているのは、日本ぐらいです。
恋歌を国歌にした明治政府はずいぶんさばけた人達だと思います。
(ざっとこんな内容だと思います。)

和歌として君が代をみると、「君(貴女)の幸せよ、永久に」という意味ではないですか。

そこで疑問です。
君=天皇という解釈はある日突然出てきました。
旧大日本帝国陸軍では言ってない。と思います。
私が中学1年(昭和35年)の社会科の先生は組合員で、天皇、国家批判はバリバリの人でした。その人も言ってはいない。
私は、高校卒業(昭和40年)して、国鉄に奉職しました。(4年で退職しましたが)
国労の活動華やかなりし頃です。そのときも君が代批判は聞かなんだ。どころか、式典のおりには、管理職も組合員も一緒になって国旗をたて、国歌斉唱をしていた。
昭和50年頃までは新聞にそのような話は載っていなかったと思います。

いつ頃から、(君=天皇)の解釈が出てきたか、誰かご存じないですか。

雑魚  ++.. 2005/03/30(水) 17:50 [1735]

 
なるほど江戸時代以前は以下の歴史で君が代は親しまれていたかもしれません。
http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/kimigayo.html
この説明によれば
@君が代の歌は古今集の詠み人知らずいわば、庶民の雑歌に初出し『わが君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで 』
となっている。これが、和漢朗詠集では
A『君が世は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで 』と変化している。
Bこの歌詞は『薩摩小唄、長唄、河東節、常磐津など、室町から江戸時代を通して、その時々のはやりの節にのせて代々うたわれてきた。』
C『君が代の歌詞は古くからわが民衆の間に広く親しまれていたお祝儀の歌に過ぎなかった。』
D『君は相手への敬語、代は齢を指した』
E当時は『縁談がまとまった、家を新築した、.病気がなおったなど、お祝いの席に専門の芸人がよばれ、あるいはだれか達者な人が、はやりの節で「君が代は」とうたったのだろう。一座の中央にいて、みんなから祝ってもらっている当日の主人公が「君」だったはずだ。』
以上抜粋終わり
そりゃあねぎさん、
和歌としてのレベルは高いはずですわなあ。笑。
 なるほど、こうした歴史がこのまま継承されていれば問題はありません。ところが、皆さんが認めているように、ある時点から意図的に天皇制と結びつけられた、という不幸な歴史があります。意図的にどちらの陣営が流したのか、保守勢力が流したと言うのはごく普通の解釈で、もし、天皇制反対グループが、マスコミを利用して意図的に流したとすると、事は複雑です。天皇制批判のために事実を捏造したことになります。
 しかし、捏造論も含め、こうした歴史が積みあがってきた君が代問題を抜きにして、単に歌詞の解釈だけを取り出して、論じるのはちょいと片手落ちじゃござんせんか?と言いたい訳です。
追伸、ただし、先の天皇制反対グループに象徴される勢力が捏造したとなれば、ことは重大で、情報操作の最たるものとなり、先の勢力の信憑性が疑われることとなります。これが邪推ならいいのですが、あのグループならやりかねないと言う疑念があります。
 雑魚さんがおっしゃるように戦後であると言うのが事実なのか、そして情報発信源はどこなのか、是非、確認しておきたいですね。
追伸
もし、先のグループに象徴される勢力が捏造したとなれば、議論を通じてそうした事実が国民のコンセンサスとなるでしょうから、国歌としてすばらしい歌詞であることを認めます。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/31(木) 07:24 [1736]

 
いつもながら、魔法使いさんの情報収集力には脱帽しました。参考になります。
もう少し、論を続けます。
私の娘が小学校2年位?(昭和62年頃)の時、一生懸命君が代を練習していました。きぃみぃがぁぁぁーー、がうまくメロディーに乗らなくて苦労していました。(ねぎさんの指摘どおりです)
このことから、昭和62年頃、学校では君が代を特に問題なく教えていたと思います。
この事実から推定すると、君=天皇の解釈は昭和62年以降のことと思われます。

右も左も、なぜ具体的事実を積み上げ、同じ土俵で話し合いをしないんでしょうねー。色々な問題は、新聞の縮刷版を見れば、過去のお互いの主張が見えてくるのに。
私は頭が固いので、どのような意見でも、具体的な事実の裏付けがなければ納得しかねます。

雑魚  ++.. 2005/03/31(木) 19:57 [1737]

 
ねぎさん、
> さて,魔法使いさんは,「歌詞を無しメロディーだけにする」とのお考えですが,私は逆です。歌詞を残して曲を変えるのがよいと思います(変える必要はないが,どうしてもというのであれば)。

私は、君が代のメロディーは気に入ってます。若い頃は暗い感じで嫌いだったのですが、オリンピックで金メダル取ったときに聞くと、ジーンときます。ちなみに、日の丸のデザインも気に入ってます。歌詞は、意識してませんのでどこで途切れても気になりません。

なので、個人的には、変える必要はないと思っていますが、皆さんが変えた方がいいと言うなら、変えてもかまいません。

歌そのものは、あんまりこだわりません。何でもいいです。歌詞も、各人が自分の好きなように解釈すればいいと思います。それよりも大事なことは、「これが国歌だ」とみんなが共通認識を持つことだ、と思いますので。
道路が右通行と左通行のどっちがいいかなんて議論してもしょうがないのと同じです。どっちでもいいけど、どっちかに決めてそれがみんなの共通認識になればいいわけですから。

国歌をどうにかして愛国心を高めるなんて、有り得ませんよね。話は逆で、愛国心が高まったときに、国歌を聴いてジーンと来たり、みんなで歌って盛り上がる、というのが国歌の存在意義ですから。そういう国歌を持たない我々は、ちょっと不幸かも知れません。

君が代を嫌う人は、歌詞の内容だとか、使われた歴史が引っかかってるようですが、そんなものにこだわらずに自分流に解釈して平和を祈念しながら歌えばいいのになあ、と思います。

しかしそれよりも理解しがたいのは、君が代を歌うことを強制しようとする人たちです。いったい何の意味があるんでしょうか?権力を誇示したいだけ?公権力をそんなものに使っちゃいけませんよ。

いったいどうすればみんなが仲良く国歌を歌える日が来るんでしょうかねえ。いっそ国民投票で決めたらどうでしょうか?君が代が嫌いな人が別の国歌を提案して、人気投票で決めればいいのでは?どっちに決まろうと、決まったものはみんなが認めて、一緒に盛り上がろうよ、というのは投票前に約束しとかなくちゃいけませんけどね。

でも、そんなにうまくいくとは思えませんね。何かいい方法はないものか…?
ちなみに、私は、左でも右でもない過激派です。

社会科学者  ++.. 2005/03/31(木) 20:44 [1738]

 
雑魚さんへ

君=天皇の解釈がいつか?ということについてですが、少なくとも私が高校生の頃(1983年:昭和58年)には、君=天皇という解釈に基づく議論がありました(授業中に聞いた記憶があります)。

色々、NETで調べてみると、1892(明治25)年に当時の文部省の音楽教科書担当官が作った教科書には、「天皇陛下の万歳を祝う歌である」と書かれているようです。
また、1942(昭和17)年刊の教師用指導書にも、君=天皇と解釈して指導しているような記述があるようです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kyousiyousyuusin.htm
(サイトからの引用であり、原典までは調べていません。ご容赦下さい)

そのあたりから考えると、私は、以下のような流れであったのでは?と推察します。
1.明治以前の君が代には、君=天皇という解釈はなかった。
2.1893(明治26)年8月の文部省告示(「小学校祝祭日大祭儀式規定」)の頃には、君=天皇という解釈で教育を行っていた。
3.戦時中は、国威発揚の目的で盛んに君が代が歌われ、君=天皇という認識のもと、教育が行われていた。
4.戦後も君=天皇という認識はあったが、それ自体に問題があるという認識はほとんどなかった。
5.1970年代の後半から、「君=天皇である。君が代反対」という運動が始まった(従軍慰安婦問題や南京事件の問題に関する運動が始まったのと、ほぼ同時期では、と推察)。
6.1989年(昭和64年)に 文部省「新学習指導要領」で「日の丸掲揚・君が代斉唱」が義務化されるが、義務化と併行して、君が代反対の運動が拡がっていった。

ちなみに、私個人は、国民主権の「日本」の国歌として、君=象徴天皇という解釈のもと、君が代を歌うことに何も問題はない、と考えています。

今は、君が代反対の人もかなりいるようですが、1999年(平成11年)に国旗・国歌法が公布・施行されていますし、歌自体に問題があるとは思えませんので、焦らなくても、いずれ、時間が解決してくれるだろう(君が代が自然に国歌として認知されていくだろう)と考えています。


ゴーヤ  ++.. 2005/03/31(木) 21:25 [1739]

 
 私の国家と個人の関係における理想論は、必要以外は出来るだけ国家は個人に関与しないと言う立場です。従って、国歌も私にとってはその範疇で、国から頭ごなしに言われるのが、イヤなのです。
 わたしは、先に書きましたように、曲はとっても好きです。ドイツ風で重厚、バロック建築のようなメロディーも悪くないと感じます。しかし、歌詞は???と了見狭くこだわります。
 横尾忠則さんだったか、が戦時中、小学校へ反対日の丸弁当と言うのを母親にせがみ、よく持って行ったのだそうです。この弁当は日の丸に正面切って反対するという反国家的な弁当ではなく、『赤地に白い』弁当だったそうです。つまり丸の部分は白ご飯が見え、全体の地色は赤い食い物で全面覆われており、その赤い食い物がとてもおいしかったのだそうです。
 私がこの話しが好きなのは、随分おしゃれな逆らい方のように思うからです。勿論逆らったとすれば、横尾氏のお母さんです。
 そんな意識はなかったはずと横尾さんは述べていましたが、口角つばを飛ばし、角突きあわせるような論争でなく、ユーモアやエスプリや皮肉などをさりげなく混ぜ合わせた論争になればいいなーと思っています。
 ですから、右や左のだんな様方や国のお偉いさんが、野暮な強制をしなければ、へそ曲がりの逆鱗に触れることも無いわけです。笑

魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/31(木) 22:19 [1740]

 
結構盛り上がりましたね。私は、てっきり「君が代」はもとから皇室の歌とばかり思ってました。武士さんにも指摘されましたが、勉強不足を痛感致します。
私は、素朴に国歌をアメリカの国民みたいに堂々と歌えないものかと思うだけです。世の中、国歌問題云々以外にたくさんの解決すべき問題があるのは重々承知しています。でも、国歌とか国旗問題が自衛隊問題同様ファジーな状態が気になるだけです。
でも、ゴーヤさんの仰るように時間が解決してくれるのかもしれませんね。

TN  ++.. 2005/03/31(木) 22:34 [1741]

 
初めて投稿させていただきます。
この掲示板は昨年の秋、口頭試験の対策でいろいろなサイトを巡回しているときに見つけ、以後何よりも楽しみに拝見しております。
とくに社会科学者さんの鋭い切り口には毎回感心しておりましたが、本件に関しては少し違うかなと思い、意見を述べることにしました。
私の「君が代」観は社会科学者さんと同じく、東京オリンピックの表彰式での日の丸掲揚とともに演奏された時のイメージがそのまま残っており、「厳粛な我々国民の象徴」であり、先祖代々から受け継いだこの豊かな国土や文化と同じように、後世に伝えていくべきものと思っています。
また、卒業式で国歌を歌うのは食事の前に「いただきます」を言うのと同じく、礼儀作法とか習慣とかに類するもので、それが右側の思想だとか権力の押しつけだとかいって、低俗マスコミの尻馬に乗ってボイコットをし始めた人達の思慮の浅さが一番問題で、そういったことが積もりつもって現代の教育現場のみならず社会の荒廃の一因になっていったのではないでしょうか。
私個人的には卒業式の「仰げば尊し」が思い出深く、自分の子供の卒業式にそれが聴きたくて出席し今はもう歌わなくなったことを知り、寂しい思いをしたことがあり、ちょっと古くなるとすぐ新しいものに交換するという傾向がこの国の人々の間ではだんだん強くなっているような気がしますが、とくに機能的な支障が生じない限り、一つの文化や習慣は何十年でも守っていくべきではないでしょうか。国歌を替える替えないの議論については、このような理由で反対です。また、このような議論がなされるだけでも、外国から見たら、やはり音楽という文化をもたなかった民族だなと笑いものになるのではないでしょうか。
みなさんの発言から「君が代」の君は天皇ではないということを知り、なおさら大事にしなければと感じたところで、そのみなさんから替えてもいいとの意見がでていることになにか違和感を感じ、とりとめのないことを書いてしましました。

ks  ++.. 2005/03/31(木) 22:44 [1742]

 
君が代ですが、私としては、別に、
「天皇制国家に対する忠誠を一国民として誓う」
という解釈はしておらず、せいぜい、
天皇家という家系が永遠に栄えますように。
ということで、
天皇イコール国家の象徴だから、
日本が永遠に栄えますように。
という意味に等しいとみなし、別に変な意味は感じません。
で、君が代が国歌であるというのは、
「国旗及び国歌に関する法律」
で決まっていることだから、有権者の過半数が、別な歌を国歌にしたい、
と考えるなら国歌を変えることができる(原則的には。)けど、
国歌を変えたい、というヒトはどれくらいいるんですかねえ?


あと、(君=天皇)の解釈が出てきた時期の件。
http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/kimigayo.html
を参考にすると、明治2年に大山巌が君が代を国歌にした
(厳密にはオカシイかもしれないが、便宜上そうしておきます。)
時に、大山元帥自身、(君=天皇)という理解をしてたのでは?
※このへん、ゴーヤさんと理解が異なります。
(君=恋人)が正しい解釈として、当時の皆が正しい解釈をしていたという
証拠はあるんかいな?
私の意見として、
 大山元帥が(君=恋人)という解釈をしていたなら
 君が代を国歌に選ぶことはまず無い(国歌の繁栄を願う歌を選ぶはず)
という疑問に対する納得いく答が得られないないため、(君=天皇)説に1票。

私自身、(君=天皇)は当然のことと理解していました。
一般論として、
・古代日本で「すめらみこと(天皇)」と呼ばれる前は
 「おおきみ(大君・大王)」と呼ばれた。
・古代中国において、「君」とは支配者の意味があった。
  (例えば、論語の、「君君たり臣臣たり」。)
ということから、
(君=天皇)という解釈で別におかしくはないから、それ以上考えませんでした。

今回、古今集の雑歌に元歌がある(賀歌にあるのではない。)ということから、
おや?それじゃあ、君=天皇とは考えにくいな、と一旦は考え直しました。

と、ここまで書いてきて、重大なデータ改竄を発見。
古今集はこちら。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/hatidai/kokin_s.html
君が代の元歌の
「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
は、確かに載っています。
でも、雑歌(=庶民の詠んだ歌)にも、恋歌にも分類されていません。
賀歌に分類されています!
これが、直ちに、(君=天皇)であることを意味することにはならないでしょうが、
雑魚さんの
・古歌では、君は文字通り貴女のことです。結論は、君が代は恋歌です。
という文の、
・君は文字通り貴女のこと
・君が代は恋歌
は、必ずしもそうとはいえないでしょう。
たとえば、上記HPで、君が代元歌の2つ下。
仁和の御時、僧正遍昭に七十の賀給ひける時の御歌
・かくしつつ兎にも角にも永らへて君が八千代に逢ふ由もがな
この「君」は、僧正遍昭のことだから、女性でないです。
「七十の賀」と書かれているから、恋唄でもないです。

というわけで、(君=天皇)という解釈で、決定的な矛盾は何も生じていません。
勿論、(君=恋人)でも、決定的な矛盾は無いのだろうけど、
何となく、君が代反対派が意図的に間違ったことを書いている、という気が。

三連星  ++.. 2005/03/31(木) 23:10 [1743]

 
学校教育の第一の『目的』は日本人であることに誇りが感じられるようになることであるべきだと思う。
http://blog.livedoor.jp/hamaguri1101/archives/16928830.html

国歌,国旗に敬意を払うように教育するのは,このための『方法論』に過ぎないと思う。こんなのは世界中で,初等教育界の常識です。

もし,日本人であることに誇りを感じられるいい『方法』が他にあるのなら国家,国旗など別に必要はありません。ただし,そんな方法はないので,全世界で自国の国歌,国旗に敬意を払わないでよいという教育をしているのは日本だけです。

はっきりいってこれはある意味,壮大な社会実験ともいえるんじゃないですか。そしてその成果は暗いかたちでじょじょにあらわれてきているように思います。

青い炎 [URL]  ++.. 2005/04/01(金) 00:24 [1744]

 
三連星殿
ご親切なご指摘をありがとうございます。
孫引きの不明をお詫びします。
さて、再度検索したところ貴殿のおっしゃるように賀歌に分類されており、雑歌には分類されていません。
http://www.milord-club.com/Kokin/kan/kan07.htm
ところで賀歌とはいかなる歌の分類を指す物なのでしょうか?
浅学な私はおめでたい歌、お祝いの歌という程度にしか読めません。つまり、高貴な方もそうでない者も、おめでたいことには変りがないと考えます。
ついでに『重大なデータ改竄』とのことですが、誰がという主語がありません。笑。
改竄という言葉は「悪意ある曲解」というふうに理解しています。どの部分が悪意あるものか、具体的にお示しください。
最後が『何となく、君が代反対派が意図的に間違ったことを書いている、という気が。』では、尻切れトンボですよ。笑。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/01(金) 01:05 [1745]

 
追伸、『、(君=天皇)という解釈で、決定的な矛盾は何も生じていません。』とのことには同意できますが、それは同じように、「名も無き草々という解釈でも、決定的な矛盾は何も生じていません。」と言いたい訳です。
魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/01(金) 01:13 [1747]

 
再追伸
『かくしつつ とにもかくにも ながらへて 君が八千代に あふよしもがな』の君が僧正遍照だとしても、それが
『我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで』の君がどうして女性ではないと断言できるのか、理解できません。ついでといっては何ですが、お教えください。この2つの歌の読み手は同じ人物なのですか?前者は仁和帝、後者は読み人知らずとなっております。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/01(金) 01:32 [1748]

 
ksさん、はじめまして。初めての投稿ですか。最初は緊張するものですよね〜。自分の意見をまとめ、他人と議論することは、とっても勉強になりますよ。せっかくですから、これからもどんどん書き込んでくださいね。

さて、私の意見に対して反論をいただきましたので、再反論をさせていただきます。
> 私の「君が代」観は 〜 「厳粛な我々国民の象徴」であり、先祖代々から受け継いだこの豊かな国土や文化と同じように、後世に伝えていくべきものと思っています。

私にとっての「君が代」観は、「国を代表して他国と交流するときのテーマソング」であり、みんながそれを受け入れる限り、後世に伝えていくべきものと思っています。

他にも、人によって「君が代」観は千差万別のようですね。

> 卒業式で国歌を歌うのは食事の前に「いただきます」を言うのと同じく、礼儀作法とか習慣とかに類するもので、それが右側の思想だとか権力の押しつけだとかいって、低俗マスコミの尻馬に乗ってボイコットをし始めた人達の思慮の浅さが一番問題

たしかに問題ですね。それともうひとつ、
「卒業式で国歌を歌うのは食事の前に「いただきます」を言うのと同じく、礼儀作法とか習慣とかに類するもので、それが低俗マスコミの尻馬に乗ってボイコットをし始めたとかいって、権力の押しつけで無理やり歌わせようとする人達の思慮の浅さが一番問題」
でもありますね。

> 私個人的には卒業式の「仰げば尊し」が思い出深く、自分の子供の卒業式にそれが聴きたくて出席し今はもう歌わなくなったことを知り、寂しい思いをしたことがあり、ちょっと古くなるとすぐ新しいものに交換するという傾向がこの国の人々の間ではだんだん強くなっているような気がしますが、とくに機能的な支障が生じない限り、一つの文化や習慣は何十年でも守っていくべきではないでしょうか。

「仰げば尊し」は私も好きですが、今は歌わないんですか。それは寂しいですね。でも卒業式は親のためにあるんじゃなく卒業生のためのものですから、とくに機能的な支障が生じない限り、卒業生が受け入れているのであれば、文化や習慣は時代に合わせて変えていってかまわないのではないでしょうか。

> 国歌を替える替えないの議論については、このような理由で反対です。また、このような議論がなされるだけでも、外国から見たら、やはり音楽という文化をもたなかった民族だなと笑いものになるのではないでしょうか。

国歌を替える替えないの議論については、このような理由で賛成です。また、このような議論がなされないとしたら、外国から見たら、やはり議論という文化をもたなかった民族だなと笑いものになるのではないでしょうか。

> みなさんの発言から「君が代」の君は天皇ではないということを知り、なおさら大事にしなければと感じたところで、そのみなさんから替えてもいいとの意見がでていることになにか違和感を感じた

私は、なおさらみんなが歌える国家にしなければと感じたところで、そのみなさんから替えてもいいとの意見がでていることになにか親近感を感じました。

ホントにいろんな考え方がありますよね。こういうことを自由に議論できるのは幸せなことです。

社会科学者  ++.. 2005/04/01(金) 02:45 [1749]

 
まあ,まあ,魔法使いさん,あつくならないで(^^)。
永田和宏氏は(歌人),「いい歌とは,いろいろな読み方ができる歌である。」(NHK歌壇,2004,9)と述べています。私もまったく同感です。歌はどのように解釈しても良いのです。誤解のうまれる余地の無い歌はいい歌とはいえません。「天皇」とも読め,「あなた」とも読めるのは,君が代がいい歌である証左ではないでしょうか。
国歌は文学作品ではないという意見もあるかもしれません。私は文学作品であってよいと思います。むしろその方がよいと思います。天皇を規定するものは憲法であって,国歌ではないのです。国歌が戦をおこすのでもなく,国歌によって歴史が作られるのでもありません。
雑魚さんは,「私が中学1年(昭和35年)の社会科の先生は組合員で、天皇、国家批判はバリバリの人でした。その人も言ってはいない。」と書かれていますが,私も同じです。左翼系の教師ばかりの高校に通っていましたが,月曜日の朝礼では国旗を掲揚し,国歌を歌っていました。入学式も卒業式も国歌斉唱から始まりました。当時の教師は,プロ意識が高かったことに加え,国家観,憲法観がしっかりしていたのでしょう。国歌ごときで歴史が左右されることはないことを理解していたのであろうと思います。彼らに比べると,国歌斉唱時に起立しない教師は,悲しくなるくらいナイーブです(ーー;)。

ねぎ  ++.. 2005/04/01(金) 08:44 [1750]

 
社会科学者さん,途切れても気にならないとのことですが,「さざれぇぇぇ意志のぉ〜」も気になりませんか?「石」と「意志」は大違いだと思うのですが。それから,「苔の」の後が間延びし過ぎですよ。なんとかならんですかねぇ。
サッカーの国際試合のとき,選手は歌っていませんね(三都主は歌っている。えらい)。国家意識が希薄ということもあるかもしれませんが,主な理由は,君が代が争いごとに向いていないからではないでしょうか。気持ちを昂らせる歌ではありませんからね。テンションを下げる効果があるので表彰式には向いているかもしれません。

ねぎ  ++.. 2005/04/01(金) 09:39 [1751]

 
> 社会科学者さん,途切れても気にならないとのことですが,「さざれぇぇぇ意志のぉ〜」も気になりませんか?「石」と「意志」は大違いだと思うのですが。

気になりませんねえ。途切れるとかいう前に、つながったものとして認識してませんから。私の左脳は、音楽を聴いてるときはお休みしちゃってるみたいです。「石」と「意志」は、どっちも「いし」ですから、同じです。声も楽器のひとつとして聞こえてくるだけです。

> それから,「苔の」の後が間延びし過ぎですよ。なんとかならんですかねぇ。

そうですね。たしかに間延びしてます。誰かもっといい詞を考えて提案してくれないかな。

> サッカーの国際試合のとき,選手は歌っていませんね(三都主は歌っている。えらい)。

三都主は歌うでしょう。物心つかないうちから日本人だった人と、自らの意思で気化した人では「国」に対する心構えが全然違うんでしょうね。

> 国家意識が希薄ということもあるかもしれませんが,主な理由は,君が代が争いごとに向いていないからではないでしょうか。気持ちを昂らせる歌ではありませんからね。テンションを下げる効果があるので表彰式には向いているかもしれません。

たしかに、競技後の表彰台にはピッタリですが、試合前に歌うときはちょっと難しいかも。でも、歌い終わったあと、歓声が沸き上がり、抑えていた闘争心が一気に高揚するような場面が多いような印象を持ちます。

それにしても、私はこんな風なので、君が代の歌詞の解釈をとことん追求する皆さんのパワーには、ただただ感心するばかりです。

社会科学者  ++.. 2005/04/01(金) 12:59 [1752]

 
その後皆さん,なかなか勉強熱心でいろいろな書き込みをなされていますね.
歌詞内容とその解釈にも花が咲いているようなので,補足を幾つか.

「古今和歌集」は勅撰の和歌集であり,どこかの誰かが個人的に気に入った歌を,秘密裏にまとめたものではないということです.勅撰だから格調高く,私本だから価値が無いなどとつまらないことは言いませんが,多くの人の共有情報のもとで成り立った本の中に,選ばれて載っていることに注意が必要.

「賀歌」に属するということにもようやくたどり着いていただけたようですが,当初「庶民の雑歌」などとネット検索結果が載せられているのを,どこに向かうか少し傍観させて頂いていました.
ネット検索もよいが,大きな書店に行けば岩波古典文学大系など調べるネタはいくらでもあるので,やはり原本をご自分の目で確認いただくのがよいと思います.

「勅撰」の和歌集の「賀歌」のしかも冒頭にあるという,明日意味超メジャーな立場にあるこの歌が,なぜ「読み人知らず」なのか.これは大きな謎あるいは権力化で作られた本であれば,何らかの意図が見え隠れするが,これは諸説を再度調べて見られるのが面白いでしょう.

歴史の時間に出てくる「金印」で有名な,福岡県志賀島にある『志賀海神社』で毎年行われる「山誉め祭り」では,「君が代は・・・」に現在のようなリズムをつけず,淡々と朗詠がなされる.その歌に入る前の台詞も意味ありげ内容である.

ちなみに,同じ福岡県には,弥生時代の遺跡のすぐ近くに「細石(さざれいし)神社」があり,同じく桜谷神社という古社には「苔牟須売神(こけむすめのかみ)」が祭られている.「千代」も例えば地下鉄「千代県庁口」駅があり,最近作られた地名ではない.
特定の説を紹介・支持するつもりは無いが,ほぼ客観的と思われる事実のみを紹介する.

福岡県の皆さん,地の利を生かして謎解きしておくれ.

と,歴史マニアの俺はこの辺でまたしばらく休憩する.

武士  ++.. 2005/04/01(金) 22:48 [1755]

 

> 明日意味超メジャーな立場にあるこの歌が,なぜ「読み人知らず」なのか.

 「ある意味超メジャー」のミスタイプじゃ.悪い悪い.

 それとこれらの事実からすれば,多分,「君=権力者」ではあったとしても,「君≠今の皇室の祖先」だろうな.
 東アジアの国々でよく行われる,両手を上げて「万歳」も,権力者に服従しその長寿を願う行為だからな.

武士  ++.. 2005/04/01(金) 22:58 [1756]

 
>横尾忠則さんだったか、が戦時中、小学校へ反対日の丸弁当と言うのを母親にせがみ、よく持っ
>て行ったのだそうです。この弁当は日の丸に正面切って反対するという反国家的な弁当ではなく、
>『赤地に白い』弁当だったそうです。つまり丸の部分は白ご飯が見え、全体の地色は赤い食い物で
>全面覆われており、その赤い食い物がとてもおいしかったのだそうです。

魔法使いさん,赤地に白は平家の旗ですよ。白地に赤は源氏の旗で,源平合戦で平家が勝っていれば,日本の国旗は赤地に白になっていたのだそうです。知らなかったでしょう。実は私も半年くらい前,報道2001で櫻井よしこさんが語っているのをみて初めて知りました。中川昭一さんも「知らなかったなー」と言っていたので,知らなかったとしても恥ではないですよ。戦前の教育を受けた人にとっては常識でしょうから,こんなにあからさまな反国家弁当を作るのはかなり勇気がいったはず。横尾さんのお母さんはそうとう肚のすわった人だったのでしょう。

ねぎ  ++.. 2005/04/02(土) 03:07 [1757]

 
青い炎さん、おっしゃることがよくわからないので教えてください。

> 学校教育の第一の『目的』は日本人であることに誇りが感じられるようになることであるべきだと思う。

第一かどうかは別として、それが重要な目的であることは同意します。

> 国歌,国旗に敬意を払うように教育するのは,このための『方法論』に過ぎないと思う。こんなのは世界中で,初等教育界の常識です。

『方法論』ですか?『結果論』じゃなくて?ということは、
「国歌,国旗に敬意を払うように教育する」→「日本人であることに誇りが感じられるようになる」
ということですね?う〜ん、ここが理解できません。

まず、「国歌,国旗に敬意を払うように教育する」とは、具体的にはどんな教育をするのでしょうか?

次に、それがなぜ、「日本人であることに誇りが感じられるようになる」につながるのでしょうか?

さらに、それが「世界中で,初等教育界の常識」とのことですが、ホントですか?その根拠または情報源は何でしょうか?

> 全世界で自国の国歌,国旗に敬意を払わないでよいという教育をしているのは日本だけです。

日本ではホントに、「国歌,国旗に敬意を払わないでよいという教育」が行われているのですか?
「国歌,国旗に敬意を払うような教育」が行われていない、ということではないのでしょうか?

> はっきりいってこれはある意味,壮大な社会実験ともいえるんじゃないですか。そしてその成果は暗いかたちでじょじょにあらわれてきているように思います。

たしかに、そういう面があるかもしれませんね。どんな実験を行って、どんな成果につながったのか、分析してみる必要がありそうです。

社会科学者  ++.. 2005/04/02(土) 07:18 [1758]

 
『 特定の説を紹介・支持するつもりは無い』が、例えばわが君=縄文の神々説もある、というわけですか?
一読しましたが、一理はありますね。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jwagakim/jwagaki2.html
私ならもう一歩進めて、梅原猛流に、前王朝鎮魂歌説に『改竄』しますがね。笑。
つまり、あの歌は、前王朝である九州王朝が、現世で祟り神として暴れるのを封じ込めるため、わざわざ賀歌として第1番目に取り上げた。ひょっと、梅原氏のことだから、これぐらいのことは調べ上げてどこかに書いているかもしれませんがね。笑。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/02(土) 10:16 [1760]

 
皆さんの意見すべて納得。勉強になりました。

私の提案です。
現代では、君は恋人をさします。
君恋し、恋しい恋しい愛しの君よ・・・、君の瞳は100万ボルト等。
だから、君が代は恋歌としましょうよ。

そして、国歌サミットを開くことを各国首脳に提案する。
その場で、どうだ、日本の国歌は恋歌だ、シャレているだろー。
おまえのとこはどうだー。なんて、酒でも飲みながら話し合う。
そうすれば、侵略の象徴の歌だの、国に強制だの、という発想は出てこないじゃないですか。
朱ちゃん、廬ちゃん、金ちゃん、土井の孝子ちゃん、ついでにブッシュさん達を呼んで。右も、左も集まるのですよ。
天ちゃんも肩の荷が下りるだろう。(下々では古来より天皇陛下のことを天ちゃんと呼んでいた。)
国旗の話はいずれまたどこかで。

雑魚  ++.. 2005/04/02(土) 13:13 [1761]

 
いやいや、雑魚さん、そうはいきません。笑。
私は三連星殿、武士殿が間接的に主張していると推測される古田武彦氏の説に魅力を感じています。なぜ魅力を感じるかといえば、縄文に惹かれるからです。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou33/furuta33.html

『同じ福岡県には,弥生時代の遺跡のすぐ近くに「細石(さざれいし)神社」があり,同じく桜谷神社という古社には「苔牟須売神(こけむすめのかみ)」が祭られている.「千代」も例えば地下鉄「千代県庁口」駅があり,最近作られた地名ではない.』

が事実とすれば、客観性もあることになります。残念ながら九州まで出向くわけにもいかず、もう少し調べてみますが、どなたか、福岡の方が書き込んでくれ、事実が確認できれば、歌詞の意味するところに納得ができるからです。
 

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/02(土) 13:43 [1762]

 
社会科学者さんこんにちは。
再反論ありがとうございます。反論が来るのって嬉しいものですね。
それで再々反論と思ったのですが、実は私日の丸君が代強制に関する記事を全く読まないで意見を言ってしまっていたので少し読んでみました。
そうしたら、記事が事実だとすれば(かなり調整が施されているのでしょうが)君が代擁護派の私でも、なるほどこれは行き過ぎかなと思います。
こうなると問題は全く別のところに移ってしまっており、悪者の看板を背負わされた日の丸、君が代だけが少し株を下げた形で取り残され、また今年もうやむやになっていくのでしょう。
取る取られるの話ではないのだから、話し合いで何とかできないものかと思いました。
この掲示板では興味深い方向へと話が進展しているので、以後ROM専(←最近覚えた言葉)で勉強します。

ks  ++.. 2005/04/02(土) 15:16 [1763]

 
いろいろな解釈があると少しばかりわかってきた上で、最後にもう一度書き込みます。
 私は歌詞を『わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで』に戻すのが良いと思っています。こんな解釈をしている人もいます。http://www.milord-club.com/Kokin/uta0343.htm 
 いろいろな歴史を知った上で『わが君は・・・』を恋歌として歌うなら、これはこれで大変気持ちのいい歌になります。
そんな意味を込めて、雑魚さんの意見に賛意を表します。
                         おしまい。

追伸、ねぎさん、確かに歌いにくいけれど、曲は雅楽なのだそうで、音楽音痴の私は、読んで初めてなるほどと思いました。江戸期には君が代なのか、わが君なのか、いずれにしろ歌われていたようで当時はやり歌になるぐらいなら、どんな調子で歌われていたか、聞いてみたいと思っています。都都逸(ドイツではありません。ドドイツです)調で三味線爪弾きながらだったりすると、これは完全に粋な御姐えさんの恋歌でっせ。^^
大山巌も薩摩琵琶で、ベンベンやりながら聞いていたり、ひょっと竜馬もよさこい調で歌っていたかもしれない。実に不謹慎な空想なので、この辺でやめておきます。笑、笑、笑。
http://www.ne.jp/asahi/amato-network/musica/amato-network-miyagawa01.htm

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/02(土) 16:34 [1764]

 
まいりましたね。軽々しく書けませんね。ネットはこわいです。紹介してもらったサイトを見ると,私が中田喜直氏の意見を真似たように見えます。思いついたことをそのまま書いただけなのですが。証明するすべが無いけど(ーー;)。
「わが君は」が「君が代」よりも優れているというご意見に反論します。せっかくだから。
私は「君が代」のほうが良いと思います。「わが君は」にすると,一人の人間の不老不死を祈念する歌になってしまいます。それはつまらないです。人の一生が有限であるから「あわれ」を感じ,歌が生まれるのであって,終りがなかったら人生は実につまらないものになるでしょう。つまらないどころか,考えただけでも恐ろしいです。なぜなら,子どもや,孫や,ひ孫や,友達や,自分の大切にしているもの全てがなくなっても,自分だけ生き続けるのはまさに地獄です。「わが君は」にすると,愛しい人が生き地獄におちるのを願う歌になってしまいます。

ねぎ  ++.. 2005/04/02(土) 21:23 [1768]

 
皆さん、こんにちは。年度末、年度始めの超多忙が若干収まり、やっと参加です。魔法使いさんも書いていらっしゃいますが、君が代は、明治初期に当時官軍の軍楽隊の主要部分を占めていた薩摩の大山等により歌詞が選ばれました。

古歌ということが一般的ですが、当時の薩摩の士族の知識では、薩摩琵琶歌の「蓬莱山」が基礎となっていたと考えられます。薩摩琵琶は極めてマイナーですし、ましてやその歌詞を見ることなどもっと少ないでしょうから、以下に記載します。長いですがお許しを。この全体を読めば、「君が世」が何を意味するか当時に引き戻して考えられると思います。

「蓬莱山」 ”目出度やな、君が恵み久方の、 光のどけき春の日に、不老門を立ち出て、四方の景色を眺むるに、峰の小松にひなづる住みて、谷の小川に亀遊ぶ、 千代に八千代にさざれ石の いわをとなりて こけのむすまで  命ながらえ雨つちくれを破らず、風枝を鳴らさじといえば、またぎょうしゅんの御代もかくやあらん、かほど治まる御世なれば、千草万木花咲き実り、五穀成熟して上には金殿楼閣甍を並べ、下には民の竈あつくして、仁義正しき御代の春、蓬莱山とは是れとかや、君が代の、千とせの松もときわいろ、代わらぬ御代のためしには、天長地久と国も豊かに治まりて、弓は袋に剣は箱に蔵めおく、諫鼓苔深うして、鳥もなかなかおどろくようぞなかりける。”

この琵琶歌の「千代に・・・」が国歌ですが、前後を読んで、皆さんなにを考えられますか?小生は「君」は天皇であることは論を待たないと思います。しかし、全体を貫くのは、国、それも人の安寧を願い、祝う
歌であるということです。特に最後の「弓は袋に剣は箱に蔵めおく・・」などを読むと、憲法9条そのものです。武人といえども、弓は袋に剣は箱に蔵めることを願いながらこの歌を歌っていたと思います。

明治日本から昭和日本の大きな流れに、軍国化があり、その中で天皇(すめらみこと)の神格化が進み、奉安殿拝礼があり、アジアへの侵略戦争があり、そこで日の丸、君が代が国旗、国歌として象徴であったことは国旗、国歌には罪はないとはいえ、不幸なことでした。
(誤解をされるといけませんので、侵略について付け加えます。主権国家が他の主権国家を武力を背景にで併合したり、あるいは武力をもって政権を転覆するのは侵略といわざるを得ません。小生は、日本帝國だけがそのようなことをしたと考えているわけではありません。大英帝国、フランス、オランダ、近年では中華人民共和国、USA、ソビエト等も同じです。良いことではありません。)

小生は、蓬莱山の歌詞すべての思いが大切であり、君が世の君が何であろうと大きな問題ではないように思います。

YOSHI  ++.. 2005/04/03(日) 10:56 [1770]

 
お邪魔いたします
人文・社会系の問題には不得手のものですから、単純に感想と気持ちをのべさせて頂きます。
君の解釈が天皇であろうが恋人であろうが、なぜこんな暗い曲が、こんな悲惨な恐ろしい過去を引きずった歌が、国歌として、そしてそれを歌うことが強制され無ければならないんでしょうか。
私は、土木技術者としてわが愛する日本の国民として、利益を追求する企業の社員として、地震があれば、災害があれば国民の安全とその生活を立て直すための社会資本復旧のために、必死にがんばります。これって、私は誰よりも強いと自負する愛国心だと思います。
なぜ強制されなければならないでしょうか。なぜ、国家(国歌いや都知事か)が自由であるべき心の中に、土足で権力をかざして踏み込んでくるのでしょうか。皆さんの議論を見ていますと、日本はここまできているのかと恐ろしくなってきました。
すみません、感想でした。

会検請負人  ++.. 2005/04/03(日) 12:17 [1771]

 
「魔法使い」さん,残念だが,俺は古田武彦氏の九州王朝説を「今は」支持していない.個別のテーマ・史料に対する古田氏の分析の切り口は鋭く,今でも十分参考になる.しかし,全ての結論が「九州王朝」へと帰結しており,そこが拙い.半ば強引とも思われるまとめ方が多いのである.
古田氏の九州王朝説には,幾つかの根幹をなす論証があるのだが,ある論証には調べてみると実は例外があったり,別の論証には九州王朝という仮定にそぐわない部分を削除していたりといった,荒っぽいものもある.そして,30年前に提唱されたこの説に対して,その後の考古学的成果は支持していないのである.
論証に孔があるというのは,古田氏を支援していた会で既に10年以上前に指摘がなされ,それでも自説を訂正しない氏&支持者と,指摘内容に賛同する者たちとが分裂,「魔法使い」さんの引用されたURLはぞの前者側の団体なのである.
これ以上の突っ込んだ内容は,この掲示板&スレッドの主旨から逸脱しすぎるのでやめておこう.
ただし,中立的な視点で物事を見るというのは大事なことで,公正・中立な立場にいるべき技術士の姿勢の多くを,この騒動から学んだことも事実だが.

ちなみに,俺は,歴史マニアだから<笑>,細石神社も千代も踏破した.細石神社の近くの「伊都歴史資料館」はいいぞ〜.志賀海神社の対岸にある香椎宮・宮地嶽神社もなかなかだ.筑紫の地にいろいろなものが残っていることは,自分の目で可能な限り確認した.地名,遺跡の存在は客観的事実である.
福岡県の人に地の利を生かしてやって欲しいことは「謎解き」である.謎解きは,幾度か訪れるだけでは不可能であるから.

明治期の君が代成立のいきさつは分かるが,薩摩琵琶歌や「蓬莱山」は,いつ頃から謡われ始めたのかが知りたいところだ.いつ頃謡われていたかの記録があっても,最初はいつという記録に無いのが一般的であろうが.

歌の作られた時と,後世とで意味が異なるのはむしろ当たり前だろうから,いろいろな解釈・意見があって当然と思うし,「国家:君が代」における君=天皇で文句をつけるわけではない.
ただし,根底になんがあるのかを探る姿勢あるいは未解決問題があるという認識を捨てないでいたいのも,理系・文系といった既成概念にとらわれず,大事なことだ.

武士  ++.. 2005/04/03(日) 13:06 [1772]

 
マルチレスです。武士さん、薩摩琵琶歌の「蓬莱山」は,薩摩では戦国武将、島津義弘の祖父である島津日新(じっしん)公の作とされています。これが正しければ、1550年前後の作です。

会検請負人さん、そうですね。歌わねばならないと決めるまではともかく、そこに処分を持ち込むというのは小生も反対です。処分というところが大問題でしょうね。

YOSHI  ++.. 2005/04/03(日) 13:48 [1773]

 
「YOSHI」さん,ありがとう.ためになりました.
国旗,国歌ともに幕末〜明治初期の薩摩の影響は否定できないでしょうな.
日の丸とて,薩摩の漁民が船につけていた旗印が起源という話も少し聞いたことがあるし.

運動会の紅白対抗を論ずるまでも無く,源平の旗印が根源にあることも否定はできん.何せ,島津は源氏とは無関係なのに源氏の末裔を名乗っておった,大嘘つきじゃからのぉ<笑>.薩摩藩内で白を基調にした旗印が使われておってもおかしくも無い.

ちなみに,歴史的に源氏が勝ったとは,個人的にはどうしても思えん.
鎌倉政府は成立したが,しばらくして平家(北条)の世となり,これが倒れて,次はまた源氏(足利)の世となったが,応仁の乱以降は,力の世界じゃ.織豊政権や徳川も,もはや源平とは何の関係もない.
平安末期に国旗が成立したのなら,いざ知らず・・・.
「櫻井よしこさん」も嫌いじゃないので,ご本人がもう少し突っ込んだ話をしてもらえると面白い.

武士  ++.. 2005/04/03(日) 14:25 [1774]

 
「ねぎ」さんのおっしゃる「一人の人間の不老不死を祈念する歌になってしまいます。それはつまらないです。」からの文面もよく理解できるし,当然のご意見だ.
ただし,それは古歌を現代の感覚で理解を試みるからかもしれない.
またまた我田引水の感は否めないが,太古,例えば,天孫降臨したニニギの命の子のヒコホホデミ尊(ヤマサヒチ彦)は,580年間支配者であったという.580年が誇大表現だとしても,あるいは,安本美典氏や古田氏のいう2倍年歴であったとしても,一人の在世では長すぎる.
一人の人間ではなく,ある権力者の権力・王座が名称とともに世襲されていればあながち不思議でもあるまい.まさに,いつになっても日本の王者を「天皇」と呼ぶのと同じで,芸能の世界の襲名も似たところか.

俺の意見だが,古歌なら古歌,琵琶歌なら琵琶歌,起源が分からないなら分からない,これらの多くの意見・説を政府がきちんとまとめて国民に知らしめ,そのうえで,新しい国歌を作詞・作曲することである.
その結果,君が代が大多数の支持を得て国歌になるのなら,それはそれで納得のいくところである.歌詞内容は不問,経緯も不問,戦争の苦い体験はそのまま,ただある校長の自殺をきっかけに雪崩式に制定するというやり方はダメである.

武士  ++.. 2005/04/03(日) 14:54 [1775]

 
大事なことを書き忘れておった.

> 古田氏の九州王朝説には,・・・・・.そして,30年前に提唱されたこの説に対して,その後の考古学的成果は支持していないのである.

考古学上の成果が支持していないのは,九州『王朝』であり,後代のような綿々と連なる世襲制の『王朝』の痕跡が見当たらないということだ.
王権の存在は否定などされておらず,ずっと肯定している.
悪しからず.

武士  ++.. 2005/04/04(月) 23:07 [1784]





 人口減少社会と技術士の役割 
日本社会は来るべき人口減少社会に対応していく必要があります。人口減少社会においては、専門技術者は高齢者でも高く評価されます。技術者の中でも技術士はさらに高い評価を受けることが期待されますが、技術革新や技能、知識などの更新を常に行い現役であり続ける必要があります。また、適切な役割分担も有効ではないかと思いますが、熟年技術士は口は出すが、手はちっとも出さないという若手技術士(者)の不満も有ります。
 既に2007年問題への対応として早期退職も始まっているようですが、人口減少化における熟年技術者の再生について意見を伺いたいと思います。
 60歳を過ぎて経営者として残る技術士は別として、多くの技術士は再雇用または、別会社に就職すると思われます。私は、早期退職というより専門技術を生かせる環境とNPO活動への取り組みにチャレンジする為に、専属契約技術士となり、週三日の技術コンサルティング以外はボランティアと有料業務を開拓しようと活動しています。
 後者についてはそうした環境を確保できる技術士と連携することが出来ると考えています。
 受験講座としては『人口減少社会において現状の問題点を踏まえながら、技術士が果たすべき役割についてあなたの意見を述べよ。』ということでいかがでしょうか?

 
魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/30(水) 10:41 [1731]

 
技術士ではありませんが、今日は60歳定年をむかえられた学校の校長先生方と少しお話しする時間がありました。
65歳までの間、非常勤でどこかに務めて年に60〜90万程度の「小遣い稼ぎ」をされる方がほとんどで、公民館長や幼稚園の園長、不登校児対策の「ふれあいスクール」講師など、様々なことをされています。県PTA連合会の事務局などに受け入れたりもしています。

しかし、これらは退職金をどかっともらって(確か24ヶ月?)経済的余裕があるから年に100万以下でもOKとも言えるのでしょうね。「社会貢献をして、その対価としてお金をもらう」のは、「小遣い稼ぎ程度」のものが多いという現状があります。
NPOでも大きなお金を動かせるのは、老人介護系と天下り受け入れ系が多いように思います。特に後者は昨年あたりにわっと出てきました。
NPOは役員の1/3は有償OKですが、天下り系ならば業界に声をかければ残り2/3の役員はすぐに名前が借りられます。ネームバリューというかネームパワーのある人をトップに持ってくれば、役員名列と合わせて高額セミナーなども開けますから、1/3の有償事務局さんは結構な見入りになります。好き嫌いは別として、なかなか考えたもんだなーと思います。

市民活動レベルでNPOなどをやって、経済的にもそこそこというのはまだまだ難しいようです。魔法使いさんのおっしゃるように、金を稼ぐ部分とボランティアの部分を別枠にして併せ持つといのが現実的な選択なのではないかと思います。
もちろん将来的には、まちづくりNPOなどが行政と対等に協働して地域づくりの方向性の決定に参画していき、その直接対価あるいはそれに伴い発生するインフラ整備などに関わって得る対価で自立していくというスタイルが理想だと思っていますが、なかなか一気には進みません。
私自身は、指定管理者制度などで安定収入を得られるよう、事務局機能の充実を少しずつはかっていこうと思っています。

魔法使いさん出題の設問に応えていない上にダラダラと長い、答案としては格好の悪例になってしまいました。^^;

APEC  ++.. 2005/04/01(金) 17:45 [1754]

 
指定管理者制度は勉強せねばと思っていたところです。どうやったらNPOや民間会社が参画しうまく機能していくのか、勉強します。
 さて、私は人口減少下では技術士が果たす役割はいっぱいあろうかと思います。
 @労働力人口の減少問題については、熟年技術士が果たす役割は大きなものがあります。技術士は痩せても枯れても技術の専門家ですので、CPDさへ怠らなければ生涯現役も十分可能です。
 A労働生産性についても、技術士のハードソフト両面の指導改革によって、向上が可能です。
 B貯蓄率についても、生涯現役なら貯蓄に手をつけずに一生を終える人も出てくるでしょう。
 こう考えると高齢化がもたらす社会的弊害は、基本的にすべて技術士の活用によって解消されると考えます。
 C問題点は給与でしょう。しかしこれも、各個人の選択肢があり金がたくさん必要な技術士ばかりとは限りません。NPOや無償ボランティアに生きる意味を見出す人も多いかと推察します。
 
 そんなわけで、いくらでも技術士の活用は可能ではないかと考えます。問題は建設関連技術業界が右肩下がりで、技術士同士でも選別が起こりますが、それは、能力主義と割り切って受け入れ、CPDを実行して実力を磨けばいいだけです。
 追伸、ちなみに、私は恥ずかしながら、技術士経験添削講師にチャレンジしています。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/04/02(土) 17:01 [1765]

 
前回書きそびれましたが、
「給料は安くなるが同じ会社に勤め、生涯現役で都市生活を続ける。」私の選択肢はこれしかありません。
しかし、ただ単に会社にコキ使われるだけでは?。

そこで私の提案ですが。
第三者機関として、チェック専門会社を作り、経験豊富な技術士を活用したらどうでしょう。(コンサルの間違いの多さは問題となっています)
あらゆる業種において、会社内のチェックではどうしても甘くなりがちです。
設計図にしても、現場管理にしても、必ず責任のある技術士の審査を受けた物が最終の商品となる訳です。

公認会計士が会社の経営状況を、外部からチェックするイメージです。
したがって、故意にミスを見逃せば刑事責任を問われるでしょう。
責任重大です。

土木、建築構造物は、一度構築すれば作り直しは不可能に近い物です。
そして、ひとたび被災すれば、多くの人命にかかわります。
そのような重要構造物が、たかだか社内の照査だけでは不完全と思います。
社内で、一個人でコツコツチェックしただけでは、やってる本人も不安になってきます。




雑魚  ++.. 2005/04/02(土) 18:27 [1766]

 
雑魚さんのご提案、賛成です。それこそ公平性・中立性が問われますから、NPOとかがいいですね。あるいは独立行政法人たる大学の生き残り施策のひとつにするとか。すいません、思いつきで書いてますので深く考えていません。

さらに進めて、会計検査を専門性・中立性の高い専門家と、行政的視野を持った会計検査院職員でチームを組むことはできないでしょうかね。
仕様設計から性能設計へのシフトが進むのであれば、専門家は必須だと思うのですが、いかがでしょうか。

APEC  ++.. 2005/04/03(日) 00:34 [1769]





 玄界灘地震と地震動地域区分 
玄界灘での地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。
今回の地震には地震研の人も「うそ!」と思ったそうですが、私も同感で、「へ?なんであんなところに?」と思いました。
新聞も「空白域での地震」と盛んに言っていますが、同時に「やっぱ日頃からの備えだよね」、「日本のどこにいても地震の危険はある」という論調も目立ちます。
他方、たとえば道路橋示方書をひもとけば、福岡県は設計地震動決定に際しての地域別補正係数は地域区分C・補正係数0.7で、地域区分A(補正係数1.0)の7割になっています。単純にいえば、区分Aの地域の7割の耐地震性能ということになります。つまり、「日頃の備え」の最も根底部分のハード部分でいくぶん「割引き」済みなわけです。
これは降雨強度なども同じですね。過去の雨量記録がさほどでない地域では排水設備などの能力がいくぶん抑えられます。これらはもちろんコスト抑制効果も考慮したリスク対策といえるでしょう。
でも、もし今回の地震によって100人以上の死者でも出ていれば、また地域区分や補正係数などが変わる可能性もありました。
阪神大震災後の耐震設計の改定で、耐震性コストは間違いなく高くなりました。あれほどの被害を目の当たりにして、地震リスクにかける金をもっと多くしてもいいんじゃないかという社会的合意があったということでしょう。
今回の地震は、「地域による割引き」について見直す必要はないか、リスク対価は今のままでいいかという問いを投げかけたのではないかと思います。

 
APEC  ++.. 2005/03/21(月) 12:50 [1673]

 
 私は福岡市の南のはずれの方に住んでいます。地震が起きたときはジョギング中で、倉庫のシャッターが大きな音を立てているので立ち止まった所、地面が揺れていました。そばを歩いていたおばさんはとても不安そうな顔をしていました。私は比較的地震の多い関東出身なので、そんなに驚きはしませんでした。
 実感としては震度3よりは強いかな位だったのですが、家に帰ってテレビを見ると、震度6弱という事で驚きました。私の住んでいる当たりはそこまで揺れていないと思います。
 実は、私は4年前広島に住んでいたので、H13芸予地震も体験しています。体感としてはあの時の方がすごかったと思います。
 これからの災害対策というものは、どこまでの損傷(被害)を許容するかということになると思います。今回の規模以上の地震が100年程度で発生する地域と、1000年以上に1度で発生すると考えられる地域に同じコストを投資するのが妥当かどうか難しい話です。
 また、地震による2次被害を減らすためには、木造密集地域の解消が必要になりますが、この場合、昔からの街並をそのまま残すことはできないでしょうね。

チャリ通サラリーマン [URL]  ++.. 2005/03/21(月) 13:42 [1676]

 
私の地元も大きな地震の記録はほとんどなく、1600年代に大地震に伴う逆断層部の地盤傾動により湖が排水できなくなり、運河を作って排水するに至ったという記録がある程度です。
しかし、花折断層系の活断層群が密集しており、市街地も断層谷先端の沖積平野上にあります。地盤は確実に液状化するものと思われます。これらのことから、400年も地震は起こっていないけれど、素因(活断層の存在)はあること、ひとたび起こると被害規模は大きくなることがわかっています。
しかし、原発事故を想定した避難訓練はあっても、地震を想定した避難訓練はありません。市民も地震に対する備えはほとんどしていません。非常用袋を用意している人はほとんどおらず、家具の固定などの対応も多くはありません。さらに指定避難所の多くは耐震検査を行っていない(そして検査したら確実にアウトになると思われる)学校だったりします。

こういう地域は多いのだろうなと思います。
何百年も襲来していない災害に対して、コスト・時間・労力をどこまでかけるか、本当に難しい問題だとは思うのですが、じゃあ本当に来ないのか(素因となるようなものはないのか)、来ても大きな被害は想定されないのか、そういったことについて客観的・理論的に判断して、その上でリスクにどう対処するかを決めていけないものでしょうか。
土石流被害や水害などに対しても同じですが、災害とどうつきあうか、ということはもっと考えていいことだと思います。

APEC  ++.. 2005/03/21(月) 15:46 [1677]

 
すいません。APECさんのレスをかなりひっくり返して引用します。

> こういう地域は多いのだろうなと思います。

多いと思いますし、関わっている研究でも非常に多いという結果があります。

> 土石流被害や水害などに対しても同じですが、災害とどうつきあうか、ということはもっと考えていいことだと思います。

その通りだと思います。

> 何百年も襲来していない災害に対して、コスト・時間・労力をどこまでかけるか、本当に難しい問題だとは思うのですが、じゃあ本当に来ないのか(素因となるようなものはないのか)、来ても大きな被害は想定されないのか、そういったことについて客観的・理論的に判断して、その上でリスクにどう対処するかを決めていけないものでしょうか。

私もAPECさんも基盤は土木工学ですよね。工学系は客観性を求めますが、いつ起こるか分からない事象、検討タームは相当長期(人生の長さで図るスケール)について「どう対処するかを決める」ということは多分に価値観、主観に依拠する事柄だと思います。極端に言えば「今金がなくなるぐらいならばそんときは死んでもいい」と思う人もいれば「何があっても死にたくない」って言う人もいるでしょう。多分に主観的な問題だと思います。
我々はその主観に影響を与える客観データを示すことが重要な仕事ではないかと思っています。たとえば発生確率、被害想定、など。

> しかし、原発事故を想定した避難訓練はあっても、地震を想定した避難訓練はありません。市民も地震に対する備えはほとんどしていません。

人は経験ベースでしか判断できません。その点、原発事故対応はすごいですね。経験には疑似経験も含まれ、知識の植え付けやシミュレーション体験も含まれます。しかし、正常化バイアスがあり、なかなか自分が危ないとは思えないようです。
ハード整備水準の話からずれて恐縮ですが、群馬大学のカタダ線性に言わせれば「津波から逃げない日本人」だそうです。
詳しくは片田先生の書いた
http://www.ce.gunma-u.ac.jp/regpln/katada/kataweb/sanriku/wavebeach.pdf
http://www.ce.gunma-u.ac.jp/regpln/katada/kataweb/sanriku/kesen_report.pdf
を読んで頂きたいのですが、過去幾度も津波災害を受けている三陸でも津波はすぐくるかも知れないのに地震が起きたら皆情報を得るためにテレビをつけその場で鎮座しているということです。
その理由は過度の公的情報への依存性と「正常化の偏見」にあるそうです。正常化の偏見とは、津波に襲われることはない、と思いたい→逃げなくてもよい理由を探す。理由は何でもいい。「前回の地震も津波はなかった→今回もないはず」「過去の津波でも家は大丈夫だった→今回も大丈夫」「テレビも今後の情報に注意してくださいといっている→テレビを見よう」「誰も逃げていない→逃げる必要はない」というわけで「こんなに逃げなくてもいい理由があるんだ」と思ってしまうそうです。
こういう人でも、これまでの防災教育で「地震が来たら津波がある」「津波は恐ろしいので逃げる必要がある」ということは十分知っているのだが、逃げない。自分は大丈夫、という理由を探し安心したくなるという本能。これが実態調査で明らかにされています。

同様にハード整備の水準に社会的合意をとろうと思っても、もっと脅かされないとかなり難しいと思います。

まてぃ  ++.. 2005/03/21(月) 16:51 [1679]

 
正常性バイアスについては、韓国の地下鉄火災でも問題になりました。みんな落ち着いて座っているから大丈夫だろうと錯覚し、多くの方が列車から逃げ遅れて亡くなりました。昨年の円山川水害でも、避難勧告、避難指示が出されたにもかかわらず、1割しか避難しませんでした。
複数の人が一緒にいる場合、1人の時にくらべて行動を起こすことが遅れる傾向にあるようです。

が、このような水害経験者には、治水の必要性を理解していただけるでしょうから、再度災害防止対策としての治水整備の合意形成を図ることとなるのでしょう。未経験者には、想定される結果とその科学的な根拠を示して、粘り強い説明と同意を得ることになるのでしょうか。

発生確率といえば、一般への確率論の説明は難しいでしょう。100年に1回の洪水に遭遇する確率は、結構高いのは確かです。

※参考、川メールhttp://www.kawamail.river.or.jp/
自然現象の発生確率は、年最大値(最小値)の超過確率で表される。例えば主要河川の治水計画が対象としている洪水は、100年(T)確率だから、ある一年の発生確率は、1/100=0.01となる。逆に発生しない確率は、1−0.01=0.99。ある人の生存年数(N)を80年とすると、毎年発生しない確率は、0.99をN(80)乗することになる。これを1から引き算したものが、そのまた逆の遭遇確率になる。計算結果は0.55、言い換えれば、半分以上の人が一生の内に、1/100の洪水に遭遇することになる。

rapid river  ++.. 2005/03/21(月) 22:38 [1690]

 
ダムの地震時慣性力や動水圧の算定では、サイト周辺の地震歴等を綿密に調べて、著名地震の震央に近い場合には適宜、ダム形式や地域区分による設計震度を割り増しします。因みに、九州北部は弱震帯の設計震度になります。ただし、ダムは一品生産ですから、綿密な地質調査を行い、活断層が近くに存在しないことを確認します。

一般公共施設等については、過去の地震規模や頻度などの濃淡により、耐震設計が行われることはやむを得ないにしてでしょう。が、想定を超える負荷がかかった場合にあっても壊滅的被害を受けない構造、粘りのある構造にできないものかという思想が求められると思います。という思想から、橋梁などは、中規模程度の地震を想定した震度法の設計と併せて、巨大プレート型や直下型を想定した終局性能について照査するようになったと理解しています(専門でないので、ジシンはありませんが)。

と考えると、耐震設計については万全の体制なのかなと感じます。橋梁の耐震設計などの実態はよくわかりませんが。


ところで、ちょっとした住宅の補強工事で、格段に耐震性能が向上するといいます。家具やテレビなどの固定対策も重要ですが、ちょっとした工夫で家屋の倒壊が免れます。
以下に建築士の「天野彰」氏のコメントです(先日、テレビで紹介していました)。

>耐震補強は簡単です。リフォームの際などに内壁をはがす時、柱と土台と梁(はり)の間にベニヤ板1枚を多くのくぎで打ち付けるだけで、筋交いの倍ほども強い面の筋交いとなるのです。ちょうど紙1枚の障子やふすまが狂いもせず、あれほど強いことと同じなのです。この「ベニヤ板1枚の耐震補強」! 家1軒で20枚ほど、わずか40〜50万円の費用で大地震に生き残れるのです。

rapid river  ++.. 2005/03/21(月) 22:58 [1692]

 
橋梁の耐震設計で対象とする地震は2種類あります。
(1)供用期間中に発生する確率の高い地震動
(2)発生する確率は低いが大きな強度を持つ地震動
です。概ね(1)の地震に対しては「橋としての健全性を損なわない(弾性設計)」を行い、(2)の地震に対しては「軽微な損傷は許容し、橋としての機能回復が速やかに行われる」設計を行います。要するに補修か可能な程度の塑性化は認めるが、塑性化したことによって橋梁が不安定とならないように設計します。
 これは、橋長が300m以下の「道路橋示方書」が対象とする橋梁の場合です。これを超えるような橋梁の場合、個別に耐震性能を設定する事になります。
 架橋位置付近で発生した大型地震の規模・頻度を調査して、その橋用の設計時振動を設定したりします。補修が困難ですので、過度に不経済とならない場合は、(2)の地震に対しても弾性設計を目指します。
 吊橋や斜張橋の場合、固有周期が長いので、地震より風の方が支配的になることもあります。

チャリ通サラリーマン [URL]  ++.. 2005/03/21(月) 23:32 [1696]

 
ですよねー。
スマトラ地震のときに、津波というものを知らない、避難情報もない、津波などの危機を想起させるような揺れの体感などもない、そういった中でなぜか海水が引いて魚がはねている。それを取りに行って津波に巻き込まれた人たちを「馬鹿だねー」とは言えないように、やはり起こりうる危機というかカタストロフィーとして認識していないと、備えもいざというときの適切な行動もむずかしいですよね。

河川の堤防高にしても、道路の排水施設の能力にしても、「○○年確率」というリスクで捉えますよね。たとえば50年確率だったら単純計算で一生のうちに1回は遭遇してしまうわけですから、「安心」というものではないと思うのですが、なぜか「そんなことあっちゃいけない」みたいに認識されてしまっているのが問題ですね。

rapid riverさん、面白いお話をいろいろありがとうございます。ベニヤ補強は面白いですね。2×4みたいなもんでしょうか。
我が家も昭和42年築を3年前に新築したら、近くの交差点で大型車がバウンドしたときに感じていた低周波の揺れが全くなくなりました。建築基準法が変わってから後の家って頑丈ですね。
液状化してもそう簡単にはひっくり返らずうまくバランスをとっていることが多いそうですね。

結局、まてぃさんのおっしゃるように、どんなリスクがあって、顕在化したときにどんな被害が想定されるのか、できるだけ正しい情報を提供し、さらにそれへの対策をメリット・デメリットおよびコストも含めて情報として提供し、その上で市民の個々の判断に委ねるということでしょうかね。
でも、そういう情報がもらえて、インフォームドコンセントの機会が得られている市民って、わが国にどれほどいるんだろうと思ってしまいます。
行政サイドの技術者諸氏にぜひがんばっていただきたい(もちろん民間も大いに協力すべきです)と思います。

APEC  ++.. 2005/03/21(月) 23:39 [1697]

 
自分の書いていることと矛盾するかも知れませんが。

> その上で市民の個々の判断に委ねるということでしょうかね。

個々の判断に任せるとうまくいかない可能性があるのが公共財の整備。
特に防災の場合は手遅れになる可能性が高いのが悩ましいところですね。

まてぃ  ++.. 2005/03/22(火) 08:06 [1698]

 
まてぃさん、「個々の市民の判断にゆだねる」ことができるのは、日頃の備え(緊急用の用具類をそろえるといったことだけでなく、水害に備えて家の土台を少し高くするとか地震に備えて家具を固定するとかいったハード対策、町内で寝たきり老人や身障者などの避難体制をとるとかいったソフト対策も含みます)ぐらいまでではないでしょうか。
危機に直面した場面においては、もはや自己責任がどうとかいう問題ではなくて、あらかじめ決められた手順・内容で問答無用で避難ということでいいのではないかと思います。もちろん、それだけのしっかりした体制作りが必要で、市民を誘導すべき公共職員がオタオタしているようでは話になりません。

APEC  ++.. 2005/03/22(火) 08:41 [1699]

 
APECさん、お疲れ様です。だんだん私のコンサル業務がばれてしまうような...。

> まてぃさん、「個々の市民の判断にゆだねる」ことができるのは、日頃の備え(緊急用の用具類をそろえるといったことだけでなく、水害に備えて家の土台を少し高くするとか地震に備えて家具を固定するとかいったハード対策、町内で寝たきり老人や身障者などの避難体制をとるとかいったソフト対策も含みます)ぐらいまでではないでしょうか。

その通りだと思います。しかし、この人たちに納得して対応を取ってもらうのは極めて困難です。

> 危機に直面した場面においては、もはや自己責任がどうとかいう問題ではなくて、あらかじめ決められた手順・内容で問答無用で避難ということでいいのではないかと思います。

ということですね。

> それだけのしっかりした体制作りが必要で、市民を誘導すべき公共職員がオタオタしているようでは話になりません。

上記は事前対応とか対策実施って意味ですよね。
先週京大防災研の河田先生とお話をしましたが、「市民を誘導すべき公共職員」っていうのはなかなか期待できないぞ、と言われました。それは決して公務員が怠慢なのではなく、公務員もそのときは被災者なんだ、ということなんですって。水害のように職員があらかじめ参集して対応できない地震災害では公助というのはかなり後でしか受けれません。阪神大震災でも救急救命の8割は自助、共助によるものでした。
というわけで事前が全て、という感じの話で。

すいません、スレの本筋である、耐震性コストの社会合意からずれまして。

まてぃ  ++.. 2005/03/23(水) 21:04 [1704]

 
 今回の地震ですが、震源地に近い玄界島や志賀島の被害が大きいようです。また、沿岸部は埋め立て地が多いせいか、液状化や地面の不陸が生じているようです。市内では、大名とか今泉といった地区で、ビルの壁などにひび割れが生じているようです。
 この大名・今泉というのは「警固断層」の直上の地域です。発表された情報では、今回動いた断層と警固断層は無関係との事ですが、震源は警固断層の延長上にあり、本当に無関係なのであろうかと思います。
 1年位前に、福岡地区でこの規模の地震が発生するのは千年に1度と公表したことから、警固断層との関連を否定したいのではないかと邪推されます。1000年に1度が明日起きてもおかしくないことをキチンと説明していく必要があると思います。しかし、このような、人間の一生より遙かに長いスパンの危険性に対して、どの様に住民と合意を形成していくか本当に難しそうです。
 この地震の前であったら、1000年に1度の地震に備えて対策を行うのは過大投資であると、非難されたと思います。
 明日、天神方面に外出する予定ですので、写真でも撮れたらUPしようと思います。

チャリ通サラリーマン [URL]  ++.. 2005/03/26(土) 16:53 [1712]

 
>  この地震の前であったら、1000年に1度の地震に備えて対策を行うのは過大投資であると、非難されたと思います。

まさにおっしゃるとおりです。
 大きな地震のほとんどない(すなわちリスク発生頻度が非常に低い)地域で地震があった
→「日本はどこでも地震の危険はあるんだ」という話を専門家がする
→リスク発生頻度の違いがあるという認識が薄まる(過大視)
→過大投資あるいは投資の偏り
となって、今本当に必要なことへの投資が後回しあるいは不十分になってしまうことに懸念を感じた次第です。

福井県でも福井豪雨の後、頓挫していたダム建設が一気に進もうとしています。ダムに賛成反対以前に、「いや、そんな単純なものではないのでは?」という気がしています。

もちろん、バイアスも含めて世論あるいは公衆心理などを無視するわけにはいきませんが、できるだけ客観的な判断ができるような材料を積極的に提供する義務が科学者・技術者にはあるのではないかなあと思うわけです。
そういう意味では、松田時彦氏のコメントは残念でした。松田氏の思慮不足なのか、記者が変なようにコメントを編集してしまったのかはわかりませんが。

APEC  ++.. 2005/03/27(日) 08:33 [1713]

 
 本日天神を散策しました。雨が降っていたのでそれ程広くは回れませんでしたが、色々驚かされました。
 テレビでもよく放映されたガラスが降り注いだビルはネットで覆われていましたが、周辺には目立った損傷は見られませんでした。天神では2番目に古いビルという事なので、構造上の負担がガラス窓に集まったようです。
 今泉・薬院あたりはマンションなどで被害が大きいようです。1階が駐車場になっているマンションは柱に大きな損傷が出ているようです。個人的な探求心で駐車場に入り込んで写真を撮るわけには行かないので、遠くから見ただけでしたが、補修工事が始まっている所もありました。
 やはり、投資効果として考えた場合、対象に出来るのは200年に一度って所でしょうか、それ以上の地震に対しては、致命的な損傷を受けず、簡易な手段で修復・機能回復ができるようにする事が大事なのでしょうね。

チャリ通サラリーマン [URL]  ++.. 2005/03/28(月) 01:36 [1718]

 
APECさん、

> できるだけ客観的な判断ができるような材料を積極的に提供する義務が科学者・技術者にはあるのではないかなあと思うわけです。

は、全くそのとおりだと思います。

そうだとすると、「過大」とか「バイアス」という用語を、根拠を示さずに使うのはまずくはないですか?

それに、

> 福井県でも福井豪雨の後、頓挫していたダム建設が一気に進もうとしています。ダムに賛成反対以前に、「いや、そんな単純なものではないのでは?」という気がしています。

とか、

> そういう意味では、松田時彦氏のコメントは残念でした。松田氏の思慮不足なのか、記者が変なようにコメントを編集してしまったのかはわかりませんが。

というのはどうでしょう?どの辺が単純だったり、残念だったりするのでしょうか?

社会科学者  ++.. 2005/03/29(火) 01:30 [1721]

 
社会科学者さん、ちょっと時間がないので簡単に。
具体的な事例を上げて「過大だ」とは言っていません。過大投資が生じるようなものが出てくるのではないかという懸念を申し上げています。雰囲気というか、そういう流れになりはしないか?という懸念です。「そういう方向」という意味での「過大」ですが、それに根拠が必要でしょうか?

「バイアス」は「バイアスも含めて世論あるいは公衆心理などを無視するわけにはいきません」という一般論として申し上げています。具体的にどれをバイアスだ、と言ってはいません。この「バイアス」にも根拠がいるのなら、それはたとえば「勘違いも含めて人の言うことはよく聞くべきだ」というとき、「根拠も示さず勘違いと言ってはまずいのでは?」と言っているようなものではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

単純だと思うのは、議論がなされていない(特に広く県民の)からです。つまり、判断するための情報が全然流れていなくて、「ダムがあったら溢れなかった」というような雰囲気が、根拠なしにできているように感じるからです。

松田氏のコメントは、リスク発生頻度というファクターのないものでしたので、客観的にリスクを捉えられず適切な社会投資ができなくなる方向性への誘発となりかねないと感じたから、「残念だ」と申し上げました。

以上です。

APEC  ++.. 2005/03/29(火) 02:41 [1723]

 
APECさん、どうも言葉足らずで、誤解させてしまったようです。

> 具体的な事例を上げて「過大だ」とは言っていません。過大投資が生じるようなものが出てくるのではないかという懸念を申し上げています。雰囲気というか、そういう流れになりはしないか?という懸念です。「そういう方向」という意味での「過大」ですが、それに根拠が必要でしょうか?

具体的な事例について「過大」であることの根拠を示してほしいと言ってるのではありません。
ある投資水準が「過大」であるという場合、何らかの「適正」な水準があるにもかかわらず、それよりも「大きく」なってしまっていることを指すと思います。聞きたかったのは、その際の「適正」な水準を、どのように判断し、「過大」であるという結論を導けるのか?ということです。

私には、災害リスクにどう対処するかについて、万人が認める、あるいは科学者・技術者の間でさえ合意に至るような「適正」な水準があるとは思えなかったため、このような質問をさせていただきました。

> 「バイアス」は「バイアスも含めて世論あるいは公衆心理などを無視するわけにはいきません」という一般論として申し上げています。具体的にどれをバイアスだ、と言ってはいません。この「バイアス」にも根拠がいるのなら、それはたとえば「勘違いも含めて人の言うことはよく聞くべきだ」というとき、「根拠も示さず勘違いと言ってはまずいのでは?」と言っているようなものではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

これも「過大」の件と同様です。私が聞きたかったのは、「勘違いというのはどうやって判断するのですか?」です。

> 単純だと思うのは、議論がなされていない(特に広く県民の)からです。つまり、判断するための情報が全然流れていなくて、「ダムがあったら溢れなかった」というような雰囲気が、根拠なしにできているように感じるからです。

おっしゃりたいことはわかりました。「情報も議論もなく雰囲気で大事なことが決められている」ということですね。でもそういう主張は、「単純」という言葉からは読み取れませんでした。むしろ、オープンで論理的な議論よりも、何となく形成される雰囲気の方が、はるかに複雑で厄介なものじゃないかという感じがします。

> 松田氏のコメントは、リスク発生頻度というファクターのないものでしたので、客観的にリスクを捉えられず適切な社会投資ができなくなる方向性への誘発となりかねないと感じたから、「残念だ」と申し上げました。

松田氏のコメントそのものは見てないのですが、ある人の発言が適切な社会投資を行うための判断材料として不適切または不完全であると感じたなら、「残念」がってるよりも、反論か補足をすればよいのではないでしょうか。そうすれば安易に「誘発」されることはないと思いますが。
それとも、松田氏の見解がそのまま不適切な社会投資につながってしまったということなのでしょうか?それなら確かに「残念」だと思いますが。

社会科学者  ++.. 2005/03/29(火) 03:38 [1724]

 
> ある投資水準が「過大」であるという場合、何らかの「適正」な水準があるにもかかわらず、それよりも「大きく」なってしまっていることを指すと思います。聞きたかったのは、その際の「適正」な水準を、どのように判断し、「過大」であるという結論を導けるのか?ということです。

> 私には、災害リスクにどう対処するかについて、万人が認める、あるいは科学者・技術者の間でさえ合意に至るような「適正」な水準があるとは思えなかったため、このような質問をさせていただきました。

上記の点については私も社会科学者さんと同じような認識だと思っていますのでAPECさんと若干かみ合ってない点を感じました。
私は前の方のレスでも「整備の水準に社会的合意をとろうと思っても、〜かなり難しい」と書かせて頂いたり、APECさんのブログhttp://blog.livedoor.jp/apec_pe/archives/16471562.html#commentsで「そもそもリスクは顕在化しないと真値かどうかわからず、過大対応、過小対応があること」と書かせて頂いていたりしますが、そんな認識です。(顕在化しても真値かどうかはわかりませんが...)

リスクに対しては過大とか過小を事前に言うのは難しい。しかし、結果としての過大や過小は事象が起きれば顕在化します。
「過大投資が生じるようなものが出てくるのではないかという懸念」は当然だと思いますが、過小投資も同値なような気がします。
この辺については、きっと学問で整理されている気がするのですが、誰か詳しい方、ご教示いただけないでしょうか。(時間ができたら調べてみたいと思っております)

まてぃ  ++.. 2005/03/29(火) 08:51 [1725]

 
>私には、災害リスクにどう対処するかについて、万人が認める、あるいは科学者・技術者の間でさえ合意に至るような「適正」な水準があるとは思えなかった

おっしゃるとおりかもしれません。
過大・過小ということを、私のように定性的かつ大雑把なレベルで論じるのは駄目ということでしょうか。(最近寝てないのでどうも頭が回らなくて^^;)
私は専門家ではなく、このことに関しては定性的かつ大雑把、さらに多分に感覚的な話しかできませんので、発言を撤回します。

APEC  ++.. 2005/03/29(火) 09:49 [1726]

 
> 私は専門家ではなく、このことに関しては定性的かつ大雑把、さらに多分に感覚的な話しかできませんので、発言を撤回します。

私も専門家ではないので、定性的・大雑把・感覚的にしか理解していません。感覚的に「何か変だな?」と感じたものを整理しただけです。

この点は、まてぃさんの、
> 「過大投資が生じるようなものが出てくるのではないかという懸念」は当然だと思いますが、過小投資も同値なような気がします。

というのがわかりやすいと思います。考え方ひとつで、「過大」にも「過小」にもなるということです。そしてそれは、「適正」をどこに設定するかで変わってくるのだと思います。

私は、チャリ通サラリーマンさんの
> この地震の前であったら、1000年に1度の地震に備えて対策を行うのは過大投資であると、非難されたと思います。

では、「1000年に1度の地震に備えて対策を行うのは過大投資であると、非難された」ことは、地震後から考えると「過小」だった、そして地震後に対策が実施されたことが「適正」であると仰ろうとしているように受け取りました。

APECさんは、「1000年に1度の地震に備えて対策を行うのは過大投資であると、非難された」ことが「適正」であり、地震後に対策が実施されたことは「過大」であると判断されたようです。

この解釈が正しいかどうかは別として、何を「適正」とするかによって、「過大」か「過小」かという結論がまるっきり変わってしまう場合があることを示していると思います。

では、何が「適正」なのか?それは誰にも分からないし、誰もがそれぞれの「適正」を思い描いているのだと思います。したがって、「過大」なのか「過小」なのかという判断も、人によってまちまちになって当たり前だと思うのです。そんな中で、合意形成を図ろうと思ったら、どういう根拠で「過大」とか「過小」と考えるのか、その際に「適正」と想定しているのは何なのかをきちんと明示して議論する必要があると思うのです。

社会科学者  ++.. 2005/03/29(火) 20:36 [1729]

 
このレスで過大投資と最初に使ったのは私のようです。福岡において震度6クラスの地震が発生するのは1000年に一度程度と想定されていたようです。現在の道路橋示方書で考慮している耐久性は100年です。
そう考えると、構造物の供用年数は200年程度を考慮しておけば十分と思います。このような地域に1000年スパンの外力を考慮するのは過大ではないかと思います。
やはり、このような1000年規模の地震に対しては、致命的な損傷を受けないこと、容易に機能回復が図れることが大事なのではないかと思います。

チャリ通サラリーマン [URL]  ++.. 2005/03/30(水) 01:39 [1730]





 「クマの畑」をつくりました 
http://www.play21.jp/board/next5.cgi?id=saguchi&lognum=&dispnum=1050
だったと思いますが、
日本海側を中心に人里にクマが出没が確認され、人・農作物等に被害が出ております。この要因としては、今年は台風が多く、ドングリ等が餌がなくなったことが挙げられています。
として、
1,クマの駆除と放獣
2,ドングリ・プレゼント
の2点について議論がなされましたが、今度、
自然科学系の出版社の地人書館から面白そうな本が
出ますので、紹介させてください。

板垣悟著 ISBN4-8052-0759-0 四六判/184頁/\1,600

いっこうに減らない農業被害とそれに伴うクマの駆除.人も助かりクマも助かる方法はないものか.考えに考え,クマが荒らし被害が出ている作物デントコーンを山裾の休耕地につくり,そこから里に降りるクマを食い止めようとする「クマの畑」プロジェクトを始めた.「これは餌付けだ」という批判を覚悟でクマ問題を世に問いただす.
ホームページは、http://www.chijinshokan.co.jp/01.html
です。ちょっと興味あります。



 
み〜すけ [URL]  ++.. 2005/03/18(金) 12:38 [1656]

 
み〜すけさん、面白い本の情報をありがとうございます。
第一印象では「これって餌付けじゃないの?」という抵抗感があったのですが、確かに重大な問題提起を含む内容ですね。
私も読んでみて、いろいろと考えるきっかけにしたいと思います。

ちなみに、この「クマの畑」に関する事業報告がWWFのサイトに掲載されていましたのでリンクしておきます。
この取り組みの背景がより分かるかと思います。
http://www.wwf.or.jp/enetwork/josei/1999/no9917.htm

風太郎  ++.. 2005/03/24(木) 10:12 [1705]

 
懐かしい掲示板ですね。
熊の畑は人と熊の間に設けられたバッファーゾーン(緩衝地帯)であろうと読みました。活動内容を読みましたが、地に足の着いた活動のようで賛成です。このバッファーゾーンが畑だけでなくもう少し森の中へ広がっていけばいいのになーと素人考えしています。例えば、畑の向こうにはドングリやクリの疎林があると言った樹林を育て、部分的には果樹も点在すると言ったような、擬似自然ゾーンを作れないものでしょうか?


魔法使い  ++.. 2005/03/24(木) 16:01 [1706]

 
熊は自然に滅んだ方が幸せなのだと思う。
人工の畑で餌付けされ、そのうちに頭数が増え、畑の餌では追いつかない。
また人里に下りてきて、挙げ句の果ては大量捕殺。
そのとき、人間の身勝手により・・・・・と力説していた新聞、テレビは、知らんぷりするのだろうな。きっと。

確か、蝦夷シカも保護が叫ばれていた。
しかし、今年の捕殺予定数は700頭。そして、村おこしでシカの肉を名物として売るらしい。
シカが可哀想といってたテレビが、今はシカの肉は結構うまいですねー、といっていた。
ついでに、多摩?の熊も今年は400頭捕殺されるらしい。

ほんとに人間は身勝手だ。

雑魚  ++.. 2005/03/24(木) 22:31 [1707]

 
人間社会のルールでは人間以外は食べてもいい(罪にならない)ということになっています。これは、今まで、宇宙外の知的生命体と接触したことが無いからです。もし、エイリアンが地球に大量移住し、その食料をどこに求めるかといえば、私なら、人類をその対象にします。数は多い上、先進国人は、脂肪も乗ってうまそうです。
喰う、喰われるという関係はそういう関係をベースに成立しています。
 かつては、部族同士の殺し合いの末、敵部族を食べると言う習慣がありました。今はほとんどありません。
 吉村昭の小説『熊嵐』では開拓農民の妊婦がヒグマに襲われ、腹を割かれて胎児から先に食べられます。ヒグマにとっては人は自分のテリトリーを犯した恐ろしい敵であり、餌でもあります。

 どのあたりで、生産者(人間以外の生物)と消費者(人間)の関係が調和を見出すのか、手探りしながら模索している段階だと思います。
 もしこの関係が輪廻で、いつまでも抜け切れない循環地獄なら、雑魚さんがおっしゃるように、滅びたほうが幸せかもしれません。ただし、熊ではなく、人間が、です。
 しかし、そういう『あれかこれか』と言う選択でなく、『あれもこれも』という選択を求めて模索している、そういうことの一例と言う風に考えてみました。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/25(金) 08:29 [1708]

 
ある生き物と他の生き物との基本的な関係は、「食う」「食われる」「関係ない(食う・食われる以外)」の3つだと思います。これは人間も同じで、自然の循環の中に入っている間は調和していました。人間は自然の一部であり、人間という活発で改変力の強い生物の存在に合わせて、たとえば里山という自然と人間の調和関係があったと思うのです。
今は人間の活動が活発になりすぎ、自然への手出しが多くなりすぎたわけですが、「循環」、いわば「新しい里山」(持続可能な開発といってもいい)を作らないと、人間の活動と自然とは相反する関係から脱却できませんね。
昨年はドングリ不足に対応して、ドングリを山に運ぼうとした団体があって、生態系撹乱の懸念からこれに反対する人たちがいて、といったこともありました。
イヌワシやクマタカの巣があると、営巣地への配慮による事業への影響や調査費などとして、何億円もの費用が投じられます。しかし珍しくもない動植物にはあまり配慮されません。
生態系の頂点のほうにいる動物を選択的に保護することは、下位の動植物への影響のリスクも持ちます。しかし底辺から補強することは大変です。
矛盾や疑問はいっぱいありますね。そのためにも、いろいろな事例や考え方を見聞きしてみたいと思います。

APEC  ++.. 2005/03/25(金) 09:09 [1709]

 
魔法使いさんらしい発言。
>『あれかこれか』と言う選択でなく、『あれもこれも』という選択を求めて模索していく。<
そうですね、あれもこれも考え、模索しんといかんと思います。
しかし、マスコミは、「あれしか」考えない、また「これしか」報道しない。
最後に子供を登場させ「熊さんが可哀想、シカさんが可哀想」で幕を閉じる。

今現在、子供が熊の脅威にさらされている。シカが増えすぎて、地元の農家は壊滅状態だ。という地元の声はどうするんだろう。

一般的に日本人(私のこと)は、トレードオフの問題に直面したとき、あちらをたてればこちらがたたず、仕方がないから問題を先送りしよう、で終わり。

雑魚  ++.. 2005/03/26(土) 09:40 [1711]

 
私も第一印象は、「え、そんなことまでするの?」でした。「問題提起」として相当なインパクトがあり、その点では大成功してると思います。
一方で、「クマの畑」という取り組みに賛成できるかといえば、大いに疑問ありです。

たしかに、クマの生息環境を奪ったのは人間ですし、残酷な方法で有害駆除されるのはホントにかわいそうで人間の身勝手さを思い知らされます。
しかし、駆除を劇的に減らせたということは、雑魚さんも言われるように、クマの生息数が増えることを意味します。守る会もそれを目指しているようです。
では、クマの数が増えたときにどうなるのか?今の「クマの畑」で間に合うのか?結局それでは足りずに農作物に被害が及ぶのではないか?クマの増加に対応していくには資金や労力の面で追いつかなくなるのではないか?…と疑問は続きます。一口で言うと、「持続可能性」に問題ありではないかと。ぜひ、個体数の変化を調査して影響を分析してもらいたいものです。

それに、別の手段が取れないものかと思います。たとえば、
・農作物に近寄らせないための技術
・捕獲しても殺さずに「人間への恐怖心」を植えつけて山に返す方法
・やむを得ず駆除する場合でも苦しませず「安楽死」させる方法
などはどうなのでしょうか。守る会の報告では他の手段について検討した様子はありませんが、「クマの畑」の妥当性を主張するためにも、他の選択肢よりも優れていることを示す必要があります。

非常に複雑で微妙な問題ですので、さまざまな手段の比較検討と実態調査に基づく科学的な分析、そしてどうすべきかについて幅広く議論することが必要そうです。

もちろん、長期的な取り組みになりますが、森林破壊や生息域の分断を回避したり、何らかの開発を行う場合には影響を予測し、ミティゲーションを義務付けること、などを通じて、クマの生息環境を回復していくことが人間として最低限やるべきことなのでしょうね。

社会科学者  ++.. 2005/03/28(月) 01:02 [1717]

 
そもそもクマが人里に下りてくるようになった原因は何なのでしょう。昔はクマの数ももっと多かったと思うのですが、彼らは山の中だけで暮らしていられたわけですよね。
「かつては入っていかなかった山の奥まで開発行為が及ぶようになったから」
「植林などによって餌になるドングリの木が少なくなった」
いろいろな話を聞きますが、科学的根拠をもって確認されている原因というのは何なのでしょうか。その原因をできるだけ除去もしくは緩和すれば最も効果的だと思うのです。

ところで、クマはまだしも、イノシシにいたっては、人里で生まれ育ったイノシシという世代に入っています。川辺の雑木林の中などをねぐらにしているようですが、彼らの餌場は畑です。山の中で食物を探して食べた経験を持ちません。
彼らにとって「山へ帰る」ということはありえません。彼らにとって山は故郷でも何でもなく、「知らない世界」なのです。

APEC  ++.. 2005/03/28(月) 08:24 [1719]

 
1くまは臆病で人と出会うことは避けたいと思っている。
2くまは雑食性で肉類よりは木の実やふきのとうなど山の果実が
主食である。
3行動圏はヒグマでおおむね100km2、ツキノワグマで50km2である。
4単独行動で家族を作らない。
以上の情報をベースに考えて見ました。
http://www.oshima.pref.hokkaido.jp/os-ksktu/kuma/about/index.html
http://www.h5.dion.ne.jp/~minaguro/biology.htm
 彼らの生活圏は山にあり、主食は山の果実であることから、山の生産力を豊かにするのが一番重要なことは明らかで、こうした生産力の向上には長期的な山の管理が必要です。食い物が豊かなら、嫌いな人間に出会う危険の大きい里に下りることはめったに無い。
 次に彼らのテリトリーに合わせて個体数を適正管理する必要があると考えました。生存できる個体数は山の広さとテリトリーによっておのずと決まるので、それ以上増えれば、弱いものは追い出されて、里に下りることになります。
 管理は駆除もあるし、去勢もある。生まれた小熊を間引くことも、時には必要でしょう。かわいそうという感傷的判断は、最終的には大量駆除につながるなど、いい結果を生みません。
 このように考えてくると今回のくまの畑は、山の生産力を向上させ、くまが山で暮らせる環境ができるまでの暫定措置ではないかと考えてみました。山の生産力については人工林との兼ね合いがあるので、ここも整理せねばなりません。このようなさまざまな角度から総合的な対策を行うためには、予算や、ボランティアなど、官民の役割分担を含めて、多様な取り組みが必要となると思います。 

魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/29(火) 09:54 [1727]





 ライブドア問題から見た株式市場について 
議論したい中身が既設のスレッドと若干違うので、新スレッドを立てます。

ライブドアvsフジテレビの舞台がいよいよニッポン放送からフジテレビ本社に移りそうな気配です。私は、この問題について、基本的にはライブドアを支持しています。理由は、以下の2つです。

@ライブドアの手法が法律違反では無いこと
Aフジの企業統治のあり方に隙があったことが原因であること

ニッポン放送の新株予約券発行などは、どう考えても不公平な対応策で、東京地裁の判定は極めて妥当だと思います。しかし、どうも、この問題釈然としない気持ちがずっと付きまとってました。最近、色んな人と意見交換しているうちに、何が不満なのか見えてきました。

ライブドアは、前身であるオンザエッジをマザーズに上場して以来、一貫して市場からの調達資金を利用したM&Aで会社を大きくしてきました(http://corp.livedoor.com/company/outline.html)。今回のニッポン放送買収と、これからのLBOによるフジ買収もまさにこの戦略の延長線上にあります。

結局、何が言いたいか?と言うと、ライブドアは上場以降、株式市場の錬金術で大きくなったという事です。その手法たるや、買収で時価総額が大きくなると、さらに借り入れをしてさらに買収すると言う、一般庶民的感覚からすれば自転車操業と何が違うのか?と言える手法です。同じ、IT大企業であるソフトバンクや楽天もM&Aを行っていますが、ソフトバンクは「ヤフーBBによるブロードバンドの低価格普及やオークションによる市場の開拓」、楽天は「楽天ショップによるインターネットショッピングモールの形成」と基軸となる事業を持っています。一方、ライブドアはそのポータルサイトはほとんどYAHOOのパクリとしか思えないし、これと言った基軸事業が見えません。

私は、大きな報酬を得る人は、社会に大きな貢献をした人であるような社会であって欲しいと思います。古くは、松下幸之助や本田総一郎、今では非難の対象ですが、中内功や堤康二郎など、それぞれの分野での社会への貢献度は計り知れません。

世界的な発明で社会に大貢献した中村教授が8億円(一流スポーツ選手の年俸並)なのに対し、株式市場を利用して儲けまくった堀江氏の資産は一体いくらなのか想像も出来ません。日本は文系社会と言われますが、これほどとは思いませんでした。理系の端くれとして、憤りを感じます。

M&Aの先進国であるアメリカでは、加熱したM&A合戦により、企業防衛やM&Aにかかる経費により1980年代後半の不況を引き起こしたと言われてます。不況により苦しむのは、当事者ではなく一般市民です。市場では、堀江氏の手法を習って、株式分割やM&Aを積極的に進める新興会社が増えてきてます。果たしてこのままで良いのでしょうか?株式市場のあり方や、日本社会のあり方そのものに問題を感じます。

私は、今後はこのような金転がし買収を抑制するルールを作るべきだと思いますが、皆さんは如何でしょうか?

 
desuran  ++.. 2005/03/18(金) 18:30 [1661]

 
desuranさんこんばんは。小生はライブドアの手法に違和感が強いのです。では日テレやフジの手法が良いかと問われれば、甘さと稚拙さがあると考えています。

desuranさんは違法でないことを理由の一つとしてライブドアを支持されていますが、違法でなければ良い、あるいはだから支持できるかといえば小生には釈然としません。この釈然としない気持ちはdesuranさんと同じかもしれません。

ライブドアの今の手法は、失われた10年を引き起こした、バブル期の土地ころがしと同じように思えてなりません。APECさんのブログにも書きましたので以下引用します。

社会・経済制度は国により様々ですから、ある考えが普遍的であるとは限りません。会社は株主のものであるというのは(社会主義国は別)アングロサクソンとりわけ、アメリカにおける主な考えにすぎません。

対極にあるのが、ドイツ共同決定法による労働者代表の監査役会への参加の例に代表される、労働者(ないし従業員)代表の取締役会や、監査役会への参加に関する法規定を持つ国が欧州には多くあります。労働者(ないし従業員)代表の強制的な経営参加が法定されているのは、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、ルクセンブルグ、ドイツ、オーストリア、オランダなどです。任意の参加が決められているフランスのような国もあります。

このような国の事例から言えば、会社は株主のものだけではないという考えがあっても良いと思いますし、これらの国の考え方では、会社は従業員のものでもあると考えてもおかしくはありません。

もちろん、日本の会社関係法令は、アングロサクソン的ですから、法令上会社は労働者のものでもあるという規定はありません。しかし、日本放送やポニーキャニオンの従業員の声が明らかにおかしいかといえば、小生は、欧州の例を想起しながら、そうでもないのではないかと考えます。(以上引用終わり)

小生は、一時期極めて強い組織の構成員だったことがあります。強いというのは、物理的にではなくて、組織のあり方としてです。そのような組織では無謬性の神話が生まれます。そのような組織と同じようなことは、政治経済的に強い国でも起こります。下手すると、独裁になりますし、そうでなければダブルスタンダードを平気で引き起こすようになります。

会社でも、強い組織の内包する脆さというのは大いにありえます。今のライブドアの強さには無謬性の神話を生み出した組織と同じにおいがして、それも違和感を強くする一つです。

YOSHI  ++.. 2005/03/18(金) 21:19 [1662]

 
リスクを背負って挑戦した人が,成功した場合に大きな報酬を得るのは当然ですし,そういう社会であって欲しいと思います。

もし,株式市場に大きな儲けの方法があるのなら,それを研究して大きく儲ける人がいたとしても,その人はなんら非難に値しないと思います。Desuranさんが大きな社会貢献をしてお金儲けすることに私は大賛成ですが,株式市場の錬金術でお金儲けをする人を非難する理由はないんじゃないでしょうか?
日本では株式投資などでお金儲けをする人を快く思わない人が少なからずいますが,投資家がいなければ,能力ある若者が会社を立ち上げるチャンスがなくなってしまいます。そういう意味で,お金儲けしか考えていない投資家というのも立派な社会貢献だと思います。堀江さんに800億円を貸し付けたリーマンブラザーズにも批判が集まっていますが,リーマンブラザーズは日本の金融機関が避けたリスクを背負ったわけで,非難されるいわれはないと思いますね。日本の金融機関も巨額の赤字を出して国民の税金から多額の公的資金を投入されるようなみっともない真似をするんじゃなくて,能力のある若者にお金を貸して,きちんと儲けを出して欲しいと思います。

私は堀江さんの著書が大好きで,何回も読みなおしている(http://blog.livedoor.jp/hamaguri1101/archives/15364319.html)ほどなのですが,私が堀江さんから受けるイメージは「誠実」です。おそらく堀江さんから「誠実」というイメージを受けると言うと,ちょっと頭おかしいんじゃないの?と言われそうですが,別にふざけてるわけでもなんでもないです。彼の言っていることは本当に筋が通っていますし,以前から自分の著書で言っていることを実際に行動に移しているだけです。彼のチャレンジ精神は本当に尊敬に値します。
社会で目立つと,いろいろいわれますが,(http://blog.livedoor.jp/hamaguri1101/archives/15557242.html),私の想像では彼の実像は極めていい奴なんじゃないだろうか,と思っています。今回の敵対的買収でM&Aのイメージは悪いですが,堀江さんはこれまで買収された会社も買収した会社も両方が喜ぶいわゆるwin-winのM&Aをいくつも成功させています。そうじゃないとせっかく会社を買収しても儲からないですよ。YOSHIさんやdesuranさんが堀江さんを土地ころがしのたぐいと思っているのなら完全に誤解していると思います。

YOSHIさんが企業は誰のものという疑問を投げかけていますが,日本では会社は株主のものという原則を今一度思い出したほうがよいと思います。多くの企業では,企業は経営者のものと勘違いした経営者による企業経営の甘え,企業は社員のものと勘違いした社員たちの甘えが見られます。堀江さんはこの原則をわかっている点で,実は10年後には勝ち組になっているんじゃないかと予想しています。

青い炎 [URL]  ++.. 2005/03/18(金) 23:01 [1665]

 
desuranさん、ずいぶん重く、骨太で本質的な問題提起スレを立てましたね。マーケットガバナンスのあり方論ってやつですね。
YOSHIさんもまた、比較制度論や組織論まで話を広げて議論されてる…。お2人の高い見識には圧倒されますね。
青い炎さんは相変わらず威勢のいい論陣を張ってますね。ただ、少し論点がずれちゃってますね。desuranさんもYOSHIさんも、出発点はライブドアのやり方への疑問でしたが、そこから派生してその背後にある市場制度や組織のあり方に論点を発展させています。もはやライブドアがいいかどうかという話ではなくなっています。

さて、私自身の考えを整理しているのですが、あいにくこれから数日間時間が取れないもので、また後ほどぜひとも意見を言わせてもらおうと思います。では、失礼。

社会科学者  ++.. 2005/03/18(金) 23:57 [1666]

 
ブログでも書いたのですが、フジサンケイグループは、上場するということを甘く見ていたのではないかと思うのです。
好むと好まざるとにかかわらず、もう何年も前から「アメリカ式」が社会のあらゆるところに入り込み、席巻しつつあるのは確かです。それは株式市場から我々の仕事にまで、あらゆる局面で顕在化しつつあると思います。そういう意味において、M&AもCALS/ECもISO9001も技術士制度改定も同じだと思っています。
それは結果的に日本の選んだ道であり、私たちは変化に対応する必要があります。そういう意味で、今回のライブドアvsフジは、フジの「甘さ」がやたらと目に付きます。変化に対して対応できず、危機管理をおざなりにしてきた結果でありましょう。フジはすぐ「公共性」を言いますが、それが企業の生命線であると思うのならば、なぜ上場したのでしょうか。

その一方で、我々は「アメリカ式」をそのまま受け入れる必要は全然ないと思います。本質を理解した上で、自分たちに会うようにどんどnアレンジしたらいいと思うのです。ISO9001なんてアレンジなしで導入したら、書類作りばかり手間が増えて、品質向上にほとんど寄与しないでしょう。
その意味で、ライブドアの手法が多くの日本人の感性に合わないのは確かではないかと思います。守旧派をやっつけるという「役回り」ゆえに支持されていますが、バトルが終わったら、たとえ一定の勝利を収めたとしても、「何が残るんだろう」という気がします。ニッポン放送でもポニーキャニオンでもフジでもいいですが、社員の「やる気」をどうやって引き出していくのか、また社会にどうやって受け入れられていくのか、不安を感じます。
やはり商売の基本は「人の役に立つものを作って、あるいは役に立つことをして、その対価としてお金をもらう」ことですから、それを外れてしまっては生き残れません。バブル後に「社会の役に立つこと」より「自らが儲けつづけること、生き残ること」を優先してきた結果、社会から悪玉扱いされるに至った土建業界のように。

私もずいぶんズレてしまいましたね。ごめんなさい。
最後に一つ、無責任に何の根拠もない予想をすれば、「太平の眠りをさます」黒船の役割だけ果たして、あだ花として10年後には消えていた・・・・そういう気がします。

APEC  ++.. 2005/03/19(土) 13:44 [1667]

 
ワンポイントコメント
アメリカはISOと最も遠い位置にあります。勉強してください。


気になったので  ++.. 2005/03/19(土) 18:35 [1668]

 
それはそれは失礼しました。では「アメリカ式」を「国際標準」と読み替えてください。何が言い方かはわかっていただけると思いますので。
APEC  ++.. 2005/03/19(土) 21:20 [1669]

 
おもしろい議論が始まりましたね。ずいぶんご無沙汰していますが、参加させてください。
わたしはこの2グループに対してはなんら関係のない中立的な傍観者なのですが、M&A、TOB、LBO等経営本の中でしか知らなかったことが、それこそライブ中継されていることに夢中が最大の関心事です。
このことは、みなさまのご指摘のようにわたしにもいろいろな問題を考えさせます。問題が広いのでYOSHIさんや青い炎さんが指摘される会社は誰のものか?ということについてコメントさせてください。
@ 少なくとも10数年前の日本的経営がもてはやされたころ、多くの日本企業の経営者は、企業は社員のものという考え方をしていたと思います。そこにグローバリゼーションということで流入してきた米国産のコーポレートガバナンス観や会社は株主のものという考え方を多くの日本企業がその考え方を受け入れた。ところが、最近では米国でも過度な株主重視主義は時代遅れになりつつあるという風潮にあると思います。米国では敵対的M&Aは激減し、昔から成功例は少ないようですから、この意味ではライブドアのチャレンジはうまくいくのでしょうか。
A 今回のM&A問題でも、ニッポン放送の株式のおそらく90%は、当事者であるライブドアとフジテレビが保有という状態ですから、会社は株主のものは白々しい響きがするのではないでしょうか。ニッポン放送は公共的性格を持っています。国民ば株主の権利よりむしろ、両企業のCSR、SRや公共性を発揮、担保できる可能性を聞かせてほしいと思うのが自然だろうと思えます。
B 建設コンサルタント業界でも友好的M&Aは当然のこと、敵対的M&Aもかなり行われており、メディアの注目は月とスッポンですが、この問題が決して他山の石ではありません。わたしもいくつかの企業で見聞していますが、被占領企業の社員は疑心暗鬼で大変なようです。彼らのことは気になります。
スレの趣旨から外れたとりとめもない印象を書き込んで恐縮です。

W  ++.. 2005/03/20(日) 21:03 [1670]

 
私は、株式市場活性化の重要性は否定しませんが、いたずらに射幸心を煽るような株取引や、敵対的企業買収には抑制ルールが必要と考えます。

科学技術創造立国を目指す我が国にとっては、技術を用いて社会貢献し、相互利益を得るという、ホンダやソニー、松下の創業者の思想こそが求められるように思います。ルールの盲点をついて、あるいはルールを熟知することで、狡猾に稼ぐという手法は、その場限りの利益獲得としか思えません(口答試験風で)。

風が吹けば桶屋が・・・的な論法ですが、次のようなことも考えられます。

@米国型資本主義などが導入される(規制緩和・モラルの変化など)。
A金融市場でのバクチの方が手っ取り早く利益が得られる。
B優秀な学生がマネーゲームに流れる。IT・金融バブル?
Cモノづくりが凋落し、産業が空洞化する。
D大不況に突入する。
E貧富の差が拡大し、犯罪が多発する。

次に、米国型資本主義の光と陰について述べさせていただきます。

米国には、アメリカンドリームといわれるよう、自由と競争があるようにみえます。
しかしながら、1%の人に40%の富みが集中する米国社会は、よい教育を子供に与え、よいコネクションを築き、社会階層を構築していきます。
その結果、米国内の富の分配が偏ることで、米国民の多くは貧困に喘ぎ、麻薬、犯罪、文盲の拡大などの一面が顕在化しています。この米国型資本主義が、世界の潮流ではありません。

欧州型資本主義は、米国の成長至上主義ではなく、貧富の差を縮め、治安を維持し、思いやりのある社会を構築しようというものになります。日本は、貧富の差や治安の維持という面で、急激に悪化していく状況にあります。ですから、米国流のカネ儲け至上主義がよいのか否か、いま一度よくよく吟味する時期にきています。

何が、私たち一人ひとりにとって重要なのでしょうか。人ぞれぞれ、その環境や立場によって、価値観はさまざまでしょう。私は、いきすぎた米国型資本主義には違和感を感じています。

rapid river  ++.. 2005/03/21(月) 13:37 [1675]

 
> 科学技術創造立国を目指す我が国にとっては、技術を用いて社会貢献し、相互利益を得るという、ホンダやソニー、松下の創業者の思想こそが求められるように思います(口答試験風で)。

口頭試験風で、というのが言い得て妙だと思います。
あくまで、口頭試験でしたら、私も「科学技術創造立国を目指す我が国にとっては」と回答する(建設部門でそう回答しないとピンチかもしれません)と思いますが「科学技術創造立国を目指す」という方針はあくまで国が決めた方針であり、それに依拠して求められる創業者の思想を論じるのはいかがなものかと。

> 何が、私たち一人ひとりにとって重要なのでしょうか。人ぞれぞれ、その環境や立場によって、価値観はさまざまでしょう。私は、いきすぎた米国型資本主義には違和感を感じています。

まさに「私たち一人ひとりにとって重要」なことは「人ぞれぞれ、その環境や立場によって」さまざまでしょう。よって「科学技術創造立国を目指す」以外の価値観もあると思います。すいません。本質でない部分ですが気になりました。

まてぃ  ++.. 2005/03/21(月) 17:02 [1680]

 
ライブドア対フジの件は、ソフトバンクが参戦してきて新たな展開に突入しているようですね。今後どう推移するのか全く読めませんが、とりあえずdesuranさんの問題提起に対して私なりの考えを何とかまとめて見たいと思います。

私は基本的には今回のホリエモンによる買収の企ては、日本の株式市場や会社法制、それとメディアのあり方などに対して、長期的にはプラスになるものと見ています。「会社は誰のものか」について、建前上ではアメリカ流の株主主権を採っているわけですが、実態としては未だに経営者のものであり、その矛盾点をホリエモンが巧みに突いたのだとしかしそれは、今回のようなことが今後も当たり前に起こればいいというわけではなく、むしろ、今回あぶり出された数々の不都合や矛盾点を、今後の教訓として活かしていくことができるという意味においてです。具体的には、以下の2つの問題について考えさせられます。

・人間の「幸せ」につながらない資本の暴走
今回の買収劇で、フジテレビやニッポン放送の経営者や従業員はあからさまな抵抗を示し、数々の迷言を吐いて我々を笑わせてくれたわけですが、彼らにとっては青天の霹靂であり、極度の不安と狼狽のなかでトンチンカンな行動に出てしまったわけで、これは同情に値すると思います。こんな事態が日常茶飯事に起こるようでは、人間らしい生活やささやかな夢の実現さえも脅かされ、つねに恐怖に怯えながら自己防衛に勤しむ萎縮した生活を余儀なくされることでしょう。そのような社会が、人間にとって幸せなものであるとは到底思えません。カネの力、資本の論理は、経済を活性化させる原動力ではありますが、それは最終的には人間の幸せにつながるようにコントロールされる必要があると思います。

・悪意に満ちた「破壊者」への脆弱性
今回の買収劇を仕掛けたのがホリエモンでよかったとつくづく思います。彼はある種の理想的なメディア像を持ち、先鋭的な体制変革を冷静かつ紳士的に成し遂げようとしているように見えます。発言は筋が通っていて、話せばわかる人物だと感じます。しかし彼が取った戦術は、マネーゲームそのものであり、あり余るカネと少々の知恵さえあれば、誰でもマネできるものです。このような手法を、何らかの破壊工作を目的とする集団や、日本を乗っ取ろうとする集団などによって実行されたとしたら…、と思うとゾッとします。ホリエモンは、そういうスキを突いてみせることで、「あんらた、脇が甘すぎるよ」と忠告してくれてるようにも思えます。我々は、そんなホリエモンに感謝しながらも、悪意を持ったマネーゲーマーが土足で入り込んでこないための防護策を用意しておかなければならないと思います。

以上より、「今後はこのような金転がし買収を抑制するルールを作るべき」というdesuranさんの意見には同意します。特に、良質な技術の形成には、中長期にわたる研究開発の蓄積が不可欠と思われますので、経営方針が簡単に変わることがないような仕組みが求められると思います。

ただ、「具体的にはどのようなルールを作ればいいのか?」という問いかけに対する確たる答えには至っていません。今のところ思いつくのは、月並みですが、敵対的買収の敷居を高くすることや、ドイツの会社法制のように労働者の意向が経営に反映される仕組みを導入することぐらいです。この辺はまだまだこれから勉強していきたいところです。

社会科学者  ++.. 2005/03/26(土) 04:40 [1710]





 無題 
橋梁上部工の設計をコンサルタントに委託すれば、コンサルタントはファブもしくはPCメーカーに下請けするのが業界の常識だとの噂がありますが、実態をご存じのかたは教えて下さいな!
 
怪傑ハリマオ  ++.. 2005/03/21(月) 21:33 [1686]

 
下請けとは契約の伴うものですよね?そういう意味から言えば下請けはしませんよ。仕事の協力はしてもらいますが、契約は結びません。
橋屋  ++.. 2005/03/21(月) 22:17 [1689]

 
 怪傑ハリマオさんが知りたいのはいわゆる「丸投げ」の話題でしょうか?私は建設コンサルタントに勤務する、鋼構造の上部構造の技術者です。
 少なくとは私の勤務する会社では、上部構造の設計をメーカーに丸投げはしていません。支承のような付属物の場合、協力してもらうことはあります。
 特定のメーカーが有する工法などを採用する場合、相手にも責任を持って協力して貰うために、契約を結んで対価を支払うことはあります。他社については無責任な発言は控えたいと思います。
 そもそも、そんなことを聞いてどうしたいんですか?

チャリ通サラリーマン [URL]  ++.. 2005/03/21(月) 23:09 [1694]

 
じゃ、仕切り直しでレスするぜ。

その、あたりまえのように使われる略語が気にいらねえ。
ファブ?PCメーカー?そりゃ、いったい何のこったい?PCって、パソコンのこと?そこんとこ、よろしく!
わきまえてスレたてなよ。おれがここでpKだの、バンドだのと言ったら、あんた、どうする?
バンドにも色々あるぜ。もちろん技術士に関係するバンドもよう。
技術士の誰でも理解できるスレにしてくれねえか、最低限。あくまでおれ個人の希望だけどよ。

ようするに  ++.. 2005/03/22(火) 09:16 [1701]

 
怪傑ハリマオさん、そもそもあなたは何者ですか?コンサルの丸投げ実態を知ってどうしたいんですか?
soso  ++.. 2005/03/23(水) 03:28 [1703]





 ライブドア 
私は、今、ライブドアの話題に興味があります。ここでの話題にふさわしくないかもしれませんし、会社名を記載するのもどうかとも思いますが、今、話題性が高いのでお許しください。
私が興味があるのは、堀江社長の言動です。数ヶ月で会社も社長も有名なり、今では、毎日テレビに顔が出ています。
鈍感な私でさえパソコンのお気に入りにライブドアのHPが登録してあり、ブログの社長日記にも時々アクセスしています。同じような人がかなり増えたと思います。
最初、私は、野球団買収で堀江社長がテレビに登場したときは、ラフな服装、若くて金持ち、有名大学中退など良い印象はありませんでしたが、この頃、テレビで見るたびにこの人の洞察力や度胸のよさ、野望に燃える闘志は、たいしたものたど思うようになり、味方についています。逆に批判的な財政界や評論家の方が「常識にとらわれた右に習えの意見」と批判したくなります。金儲けだけでしているのか?会社の成長を考えてしているのか?意見が分かれるところですがこの先がどうなるか興味があります。単純にこのバイタリティーには、元気がでます。皆様は、この人をどう思いますか?個人名を出して、どうのこうの言うのはやはりだめかな?悪かったら削除して下さい。

 
野次馬  ++.. 2005/02/22(火) 09:50 [1566]

 
私は興味深く見ています。自分とまったく違ったタイプの人というのは興味をそそられます。
とんがりすぎかもしれませんが、前例主義・横並び主義・ことなかれ主義といった私の大嫌いな主義を踏み潰してくれそうで楽しみでもあります。
でも今回ばかりはちょっとやばいかもしれませんね。

APEC  ++.. 2005/02/22(火) 22:15 [1570]

 
堀江社長、いいじゃないですか。行動の良し悪しは別として、どこの世界にもかき回し役は必要でしょう。貴重な存在だと思います。自分も微力ながらかき回し役になれればと思ってしまいます。

ところで、失礼ながら、私は野次馬さんの言動にも興味をそそられます。「これってどんな心理状態なんだろう」?って。
例えば、「ラフな服装、若くて金持ち、有名大学中退」がなぜ「良くない印象」になるのか?それがなぜ、今では「味方についている」までなってしまうのか?なぜ、他人が堀江社長をどう思うかを知りたがるのか?などなど。
別に批判しているわけではなくて、率直に自分と違う感覚をお持ちなんだなあと思ったもので。
たぶん、人間に対する強い思い入れをお持ちで、それでいて世間の評判にも配慮できるようなバランス感覚をお持ちなのでしょうね。

社会科学者  ++.. 2005/02/22(火) 23:20 [1572]

 
最初は自分とは全く別人種だと思っていた人が、実は自分が心の中でやりたいと思ってたことを具現している人だとわかったということなんじゃないかな。
物わかりの悪い会社上層部の年寄りに虐げられて何もできないでいる一般サラリーマンから見ればスーパーヒーローに見えますね。

平社員Q  ++.. 2005/02/22(火) 23:34 [1573]

 
これだけ騒がれれば、いやでも興味が湧きますね。
堀江さんのようなタイプは、調整、根回しを常識とする社会で生きてきた人間には、目障り以外の何者でもないのでしょう。
フジの会長さんのコメントがそれを物語っています。
日本人の多様性もまだまだ捨てたもんじゃない、ということで社会科学者さん(お久しぶりです)が仰るように、私も貴重な存在だと思いますし、どこまでやれるか楽しみです。


ガン  ++.. 2005/02/23(水) 04:27 [1574]

 
どのような前座交渉があって現在に至ったのか、全くされずにこうなったのか判りませんが、フジの新株予約権行使は、経営権維持を目的とした、新株発行の疑いが強いと考えます。
 前回のプロ野球といい、今回のフジといい、これまでグループ経営で株主の口を封じてきたマイカンパニー、アワカンパニー経営者が、ユアカンパニー嗜好の時代ニーズに逆らっていると言う風に見えます。西武鉄道問題と同根です。
 株を公開して市場から資金を調達しておきながら、経営に株主が口出ししそうになったら、非公開にしてしまえばいいという発想に、企業の私物化がはっきり出ています。
 ホリエモンは商法に則り、合法的に事を進めています。新株発行で経営権を守ろうとするフジは守旧派ではないでしょうか。
 インターネットと放送メディアが連携すれば、新たな事業が創出されます。そして、そうした事業の発展が、日本経済を引っ張ればいいと考えます。
 負けるな、ライブドアに1票です。

魔法使い  ++.. 2005/02/24(木) 17:42 [1582]

 
追伸
フジテレビは、ニッポン放送が「親会社」という資本関係のねじれをこれまで、承知の上で放置していたわけですが、どんなメリットを考えて放置していたのか、このあたりを整理する必要があります。情報があれば教えてください。

魔法使い  ++.. 2005/02/24(木) 18:04 [1583]

 
時間外取引に対するライブドア批判が財界から出ているとのことです。
http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kinyu/news/20050222k0000m020166000c.html

魔法使い  ++.. 2005/02/24(木) 18:15 [1584]

 
> 例えば、「ラフな服装、若くて金持ち、有名大学中退」がなぜ「良くない印象」になるのか?それがなぜ、今では「味方についている」までなってしまうのか?なぜ、他人が堀江社長をどう思うかを知りたがるのか?などなど。
投稿ありがとうございます。
私が、最初の印象が良くなかったのは、一回り以上も年下の堀江社長にたいする劣等感や、ねたみというかヒガミ根性からだと思います。テレビを見てるうちに能力や度量の大きさが自分とは比べようがないほど大きいと思い味方につくようになりました。そして、他人がこの人をどんな風に評価するのか気になったしだいです。

野次馬  ++.. 2005/02/24(木) 21:15 [1587]

 
野次馬さん、私の突飛な疑問に対し真摯にお答えいただきありがとうございます。
それと、人の心を覗き見るようなことをしてすみません。好奇心が過ぎたかもしれません。でも、お気持ちはわかったような気がします。
自分より年下なのに大成功して言いたいことをズバズバ言ってるのを見れば、自分と比べてあまりの落差に納得できず、否定的な印象を持ってしまうのは自然なことだと思います。
それが、実力を否応なく見せつけられて、自分とは比較にならないと悟ったとき、その落差を受け入れ、少しでも近づきたいという感情に変わるという感じでしょうか。

ところで、「言いたい放題」とはいえ技術士の掲示板なのに、堀江社長はどう思うかなんていうスレを立ててしまうあたり、野次馬さんは堀江社長に通じるものがありそうですね。

社会科学者  ++.. 2005/02/25(金) 01:32 [1589]

 
2月24日の日経新聞はニッポン放送記事の隣に、『投資マネー、再び商品に』『ドバイ原油、最高値更新』『金属、穀物も上昇』といった見出しで投資ファンドなどの投機資金が、再び世界を席巻する可能性があると指摘しています。
 その一部がライブドアに流れているとは、勿論書いてありませんが、並列して報道されているところに、編集者のコメントがあるのだろうかと、邪推しています。
 投資ファンドマネーがタイ経済に端を発し、東アジア経済を拝金主義で破壊していった記憶があります。
 フジサンケイグループもライブドアも投資マネーの手の内でおどらされ、ファンドだけが漁夫の利を上げると言う図式は考えすぎでしょうか?
 更にこの投資マネーには日本の超一流優良企業が出資しているとなれば、世界経済はマッチポンプです。この拝金主義を何とかできないかと、ハゲタカ的能力に欠ける私はぼやくのですが...。

魔法使い  ++.. 2005/02/25(金) 08:34 [1590]

 
私は、堀江氏と同年齢ですが好きになれません。
彼の目標は「世界1の企業を作ること」で、これまでの言動から世界一の意味は、「時価総額」であると考えられます。私は、自分の身が立てば後は地域レベルで貢献していきたいと思っている人間ですので、その点で彼の考え方とは相容れない部分を感じます。ライブドアのこれまでの成り立ち方も好きになれない部分があります。

しかし、今回の買収劇は、ライブドア側に非はないと思います。時間外取引はこれまでも企業買収や持合解消などで用いられてきた手法で、ライブドアだけが使ったものではありません。これまでと若干違うのは、通常、上場企業に対する大きな時間外取引となると、取引相手の大株主との了承はもちろん、企業側の取締役の了承を得るのが慣例という点だけではないでしょうか?
フジが、対抗策を色々と講じたり、メディアを使って戦うのは理解できるのですが、政治家達の発言には閉口しています。立法府の人間である政治家が、自分達のずさんな仕事を棚に上げてライブドアを非難するのは責任放棄以外の何者でもありません。
それから、既存メディアの突っ込み方も気になります。サ○プロ他どの番組でも「フジと連携するビジョンは?説明責任があるのでは?」などと的外れな質問をしていました。彼のやろうとしていることは買収ですから、買収してからそれぞれの優秀なスタッフに連携プロジェクトを協議させても構いませんし、その方が良い案が浮かぶでしょう。何故、買収前にビジョンが必要なのか意味がわかりません。みなが熱くなる中、冷静なコメントを出していた谷垣財相と岡田代表だけが好感をもてました。

今後は、新株発行の行方がどうなるかですね。フジ側は揺さぶりの意味を込めてやってるように思えます。裁判になって差し止められても長期化の雰囲気を作ることで、ライブドア側の株価下落による体力低下を狙うことが出来ます。いずれにせよ、50%まで買い増せる体力は無さそうですから、旗色は悪そうですね。魔法使いさんの「禿鷹だけが儲かる」は十分ありえそうですね。今回の件では、出来ればライブドアに勝って欲しいのですが、、。

desuran  ++.. 2005/02/25(金) 20:08 [1592]

 
この新旧エゴのぶつかり合いはどう決着するのだろうか?
形式的には、TOBの成否と経営権の獲得という形で決着するのでしょうが、双方がどれほどの味方を作れるかが勝負のカギとなりそうです。
ごく乱暴に言えば、ライブドアは一般大衆の心をつかんだ、フジテレビは既存勢力の支持を取り付けたといっていいと思います。
ただ、それらは単なる観衆でしかなく、やはり企業価値がどうなるのか、それを株主がどう予想するのか、そしてそれを司法がどう判断するのかが、直接的には勝負の行方を決定しそうです。
そこで焦点になるのはニッポン放送株主の判断と行動ですが、伝え聞く範囲では、フジテレビ側に軍配を上げているように感じます。
ライブドアへの期待は大きいとしても、それ以上にリスクが大きすぎるという判断でしょうか?野次馬気分の一般大衆に比べれば、直接利害を受ける投資家がより堅実な判断をすることは想像に難くありません。
であるなら、ライブドアは、守旧勢力と衝突したり堅実な投資家の判断に左右されるようなことよりも、もっと直接的に一般大衆に働きかけるビジネスを展開したほうがいいんじゃないかな?なんて思ってしまいます。
具体的なアイデアがないところが情けないのですが…。

社会科学者  ++.. 2005/02/26(土) 02:51 [1595]

 
おっと、守旧勢力に果敢に戦いを挑む姿に一般大衆の心が動かされたという面を忘れちゃいけませんね。
無謀なようでいて、実はかなり高度なビジネス戦略だったりして。球団買収もそうだったのかな?

社会科学者  ++.. 2005/02/26(土) 02:59 [1596]

 
皆さんは、堀江氏の目的をどのように捉えましたか? そこに、一連の騒動にかかる問題の本質があるように感じます。

@単なるマネーゲームで自らの利益を生む。
Aメディアの融合などによる相乗効果で、顧客と自らの利益を生む。
Bその他(@及びAの中間)

私は、これまでの経緯や彼の言動(※)より、@に近い印象を受けました。仮にAならば、これほど強引にならずとも、「顧客志向で種をまき、じっくりと育て、相互に相乗効果を生む手法」が可能だったのではないでしょうか。

ですから、今回は、彼を応援する気になりません。
確かに、旧態依然とした会社経営のあり方に、一石を投じた形になりました。しかしながら、彼の手法は一時的に成功し利益を得たとしても、その将来性には疑問があります。一般論として、米国流のマネーゲームは生産性が乏しく、WIN-WINの関係がありませんから。

また、人間は「感情」で動く動物です。
彼のロジックは、確かに一見して、合法的?で、理にかなっています。頭もいいし、度胸も、金もある。素晴らしい人材です。しかしながら、今回ばかりは強引に過ぎて、相手方の情にかなうとは言い難いものでしょう。

最後に、松原・下筌ダム反対闘争において、室原氏がいみじくも指摘した「事業は、法にかない、理にかない、情にかなったものでなければならない」を引用します。


※フジのTOB、状況次第で応じる可能性も…堀江社長(読売新聞)
フジテレビが実施しているニッポン放送株のTOBについて、「(TOB価格がライブドアの取得価格を下回る)今、応じたら損をする。金銭的に損をするディール(取引)には乗れない」とした上で、「(金銭的に)損をしなければ」と条件付きながら、TOB価格の動向などの状況次第では応じる可能性を述べた。

rapid river  ++.. 2005/02/27(日) 21:32 [1598]

 
> 皆さんは、堀江氏の目的をどのように捉えましたか?
> @単なるマネーゲームで自らの利益を生む。
> Aメディアの融合などによる相乗効果で、顧客と自らの利益を生む。
> Bその他(@及びAの中間)

http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html
を読みました。私は産経新聞の正論路線が好きで、江川紹子さんはイラク人質問題等で考え方が違うなぁという立場ですが、ここに書いてあるものをみて「江川さんはさすがに書くのがうまいなぁ」と思いました。
このインタビュー記事を見る限り、単純な@ではないが、高度なAでもない、という印象を持ちました。堀江さんのねらいは、有名メディアを「持っていること」にこそ、意味がある、と。
そこんとこに江川さんは唖然としているわけですが。

広告収入ということが基準なら、露出・知名度の高さの買収が最優先って感じでしょうか。まぁ、あくまで江川さんのインタビュー記事からの判断ですが。
−−
以下私の意見ですが、堀江社長がんばれと思っていたのですが、先にも書いたように私は産経新聞の正論路線が好きで「産経を支配する」とか「産経新聞はエンタメに」とかいう堀江氏の意見には困ってしまいました。皆さんそうかも知れませんが、単純に「全面好き」「全面嫌い」と分けることが出来ない、「この部分は共感できるが、共感できない面もある」ということなのでしょうか。

まてぃ  ++.. 2005/02/28(月) 09:03 [1599]

 
インタビューを読んで受けた印象です。
堀江氏の報道に対する原点は、井戸端会議つまり口コミにあるのではないでしょうか。江戸時代、長屋の共同井戸は現代のインターネットで、そこで、出た口さがない話が電子情報として掲示板などに載ることにより、広がっていく様は、瓦版で江戸の町に噂話が広がっていくのと同じシステムではないでしょうか。
 従って、そこにはオピニオンリーダーはいないし、必要も無いということです。ニュースバリューは人気ランキングすなわち井戸端会議で決まるうわさ度です。
 報道の使命といった発想はいつごろから報道関係者の間に広がったのでしょう。瓦版屋では満足できないのでしょうか?報道関係者がオピニオンリーダーであると考えるのは、彼らの自己満足に過ぎないと堀江氏は言っているように思います。
 インターネット時代にはマスコミュニケーションはいらない。マスコミは大量生産、大量消費、資本や富の集中、など中央集権システム構築には優れた機能を持っていたが、価値観が多様化し、地方(じかた)社会に向かいつつある21世紀の日本にはそぐわないシステムだといっているのではないでしょうか。
 インターネットを介してその都度、無数の論説委員が参加し、人気ランキングを通じて世論が形成されていく、そんな世界への第一歩の予感があります。その中で個の役割と限界がどこにあるか、そして、インターネットを通じた連携はどんな形をとっていくか、カオス理論のバタフライ効果によって、蝶の羽のそよぎが、あるときは竜巻のような効果を生み出す。そんな世界がすぐそこに来ていると予想します。

魔法使い  ++.. 2005/02/28(月) 10:26 [1601]

 
なんか,複雑な思いです。これらの一連のニュースは,ある程度興味を持って見ていました。結局,敵対的企業買収に過ぎないし,ちょっと大々的に取り上げすぎとは思っていましたが,裁判映画が人気が出るように,サスペンス・ドラマ的に面白がって。
でも,昼休憩の時間,江川氏のインタビューを読んで,少し感想が変わりました。

「新しいものをつくること,意味あることは,我々にとって重要なことじゃない。」ここまで言い切られ,エッと思う。堀江氏は何も信用していないのだ。既存のマスメディアだけでなく,現時点での様々な【意味】や,我々一般大衆自体も。
 現時点で「制度」や「人気」や「感情」や「流行」,あるいは「善悪」さえも,時の移り変わりによって,あっという間に【過去のもの】になってしまう,いや【過去のもの】に「して」しまう。そんなものに意味など無い。こだわる必要など無い・・。
 このインタビューは対マスコミだけでなく,我々,「大衆(?)」への挑戦状,というよりは「諦念」に読めました。所詮,「絶対的」なものなど無いのだ・・。絶対的な純粋。絶対的な善・・。大衆はそんなものは求めていない。だったら,その時々の「多数派」に寄りかかっていよう。期待など持たずに・・。そして,恐らく信じられるのは「みんな幸せになりたい」という【感情】。
「だったら,私と手を組みませんか。幸せになれますよ」
「なぜ拒むのですか?幸せになれるのですよ。拒む理由が分かりませんね」

彼が「完全なる市場原理」という時,それは「神の見えざる手」がもたらす均衡や「最後には良いものが残る」といった「市場への信頼」を意味するのではなく,人間の狂騒的な一面,熱にうかされる状態を見ているのではないか。まさに「バブルの到来」と「崩壊」のように。誰もが熱にうかされた,あの時代。だれも反省などしていない。恐らく大衆は
何度でも狂騒を繰り返すだろう。あの頃,たぶん学生時代だった彼は,あの狂騒をどういう風に見,感じたのだろう?「失われた10年を取り戻そう」との思いをどう感じるだろう。

 我々は,どこかで【絶対的なもの】を求めていると思う。真理,正義,善。彼に対するインタビューは建前にしても,ここからスタートしていると感じる。だから彼とは相容れない。最近はイライラしているように見える。「そんなものは幻想だ。わからないのか?」。
 でも,だからこそ,明晰で「物事が見えすぎる」彼は,絶対的なものを求めているのではないだろうか。と思うのは,結局のところ「誠意」とか「人間を信じよう」とする私の甘さだろうか。「見えすぎる」彼には,全て見えてしまっているのだろうか。

 ほとんど「思い入れ」や「想像」だけの,書かずにいられなかった感想文でした。

やっぱり頑張りすぎ  ++.. 2005/02/28(月) 18:06 [1602]

 
インタビューを読んで、今まで見えなかった「共感」する部分が見えてきたような気がします。

堀江さんが批判している、あるいはバカらしくなって見下しているのは、正義の味方を装いつつ意図的な情報操作や特定個人への攻撃といった「暴走」を繰り返す、既存の大マスメディアとそこに属する記者たちなのでしょう。彼らは、いずれネットの普及とともに独占的な影響力を失って消える運命にあるが、より積極的に働きかけてネット時代のマスメディアのあり方を実現していこうとしている、という風に受け取りました。下手な「正義感」よりも、「市場原理」の方が意図的な操作を受けにくい点ではるかにましだということでしょう。

このインタビューと解説でおもしろかったのは、江川さんと堀江さんの「報道」に対する考え方が全くかみ合わず(というか江川さんは堀江さんの考え方に全くついていけず)、完全に「ものわかりの悪いやつ」扱いされてることです。
江川さんは、堀江さんの発言や行動を冷静に分析し、評価できるところは評価しつつも、自分の立場が脅かされてると感じたのか、終始自己弁護に徹してしまっていますね。
「歪曲」とか「ゴミ記事」という言葉に強い拒否反応を示し、「報道の使命」の存在意義をことさら主張する…。別に江川さんのような大マスメディアに属さないジャーナリストを批判してるわけじゃないと思うんですけどね。むしろ、江川さんの報道なんかはライブドア新聞でこそ正当に評価されるんじゃないでしょうか?

ところで、「新聞に書いてあることは皆信じる」と堀江さんは言ってますが、ここだけはちょっと疑問です。新聞がいつも客観・中立だとは限らないというのは、特にネット時代になって常識になりつつあるように思いますが、いかがでしょうか。

ま、理屈がよく分からなかったり強引すぎて危なっかしい面はあるものの、時代をかなり先走った企てが、どの程度社会に受け入れられ、通用していくものなのか、応援してみたいという気になりました。

社会科学者  ++.. 2005/02/28(月) 22:04 [1603]

 
ご無沙汰しています。うらんです。一時期隠れておりましたが(笑)、今年無事に総合技術監理合格し、年度末の日々を送っております。
今回のライブドア騒動は、「そんなことよりも、他に(記事にするべき)大切なことはいっぱいあるだろう」と思ってさわり程度しか読まないようにしています。ただ、みなさんの書き込みを拝見し、江川さんのインタビューを読んで、書き込みいたします。昼休み中なので、ちょっと変かもしれませんし、今頃この記事を上にあげるのも恐縮ですが、ご了承ください。
まず、私個人の好き嫌いのバイアスも入っていると思いますが、「なんだっていい」という対応にまず「幼さ」を感じました。
それから、市民記者について。マスコミの記者を信用しておらず。自己満足や偏った意見などがあるように発言されていますが、市民記者にそれはないのでしょうか。
記事に市場原理が入ればいいというようなニュアンスもありましたが、人気だけで、情報の取扱いが左右されてしまうのは、皆さんはどのように思われますか。今回の騒動のように人々の興味があつまれば、盛り上がるのでしょうけれど、小難しいような政治や環境が人々から敬遠されていたら、扱いは小さいですよね。江川さんが危惧されているのと同じ印象を私も受けました。それこそ、技術士なんて日本の中の大多数から見れば、どうでもよいことで、扱い小さいかもしれませんよね(笑)。でも、皆さん大切な仕事を誇りを持って(?:希望的観測含めてます)していますよね。それが、「人気」という価値観のみで判断されてしまってよいのでしょうか。人気に迎合した意見ばかりになってしまいませんか?それは一種の人気による情報操作になりませんか?自分にとって大切ではないことは切り捨ててしまってそれですむような世の中ではないはずです(若輩なのに生意気言ってすみません)。
インタビューページを見た私の感想です。同世代とくくられるような人でもそういう風に考える人もいるのだなーと思ってください(きっと少数派?意見)。

うらん  ++.. 2005/03/18(金) 12:56 [1657]

 
うらんさん、こんにちは。総合技術監理に合格されたとのことで、おめでとうございます。今後その能力をお仕事に活かされるかと思いますが、この掲示板でもご活躍されることを期待します。

「若輩なのに生意気言ってすみません」とのことですが、とんでもない。若いからこそズケズケと発言することが大切だと思います。ご自身にとっても、日本の未来にとっても。特に、意見が異なる者との議論を通じて、自分自身が成長しながら、世の中を変えることにもつなげていけるのだと思います。

そこで、以下に、ご意見に反論する形で議論させてもらいたいと思いますので、再反論するなりご意見を補強するなりして活用していただければと思います。

> 「なんだっていい」という対応にまず「幼さ」を感じました。

「幼さ」とはどういうことを指すのか、良いことなのか悪いことなのか、どうあるべきかをわかりやすく説明していただけませんか。

> それから、市民記者について。マスコミの記者を信用しておらず。自己満足や偏った意見などがあるように発言されていますが、市民記者にそれはないのでしょうか。

市民記者だろうがマスコミの記者だろうが、自己満足や偏った意見は避けられないでしょう。違うのは、マスコミの記者の意見は「正しい」ものとして一方的に大量に伝達されるのに対し、市民記者の意見は「人気」を通じた「市場原理」のような仕組みで伝達されることでしょう。

> 記事に市場原理が入ればいいというようなニュアンスもありましたが、人気だけで、情報の取扱いが左右されてしまうのは、皆さんはどのように思われますか。

現在のマスコミでも「人気」で相当左右されてると思いますが、記者や編集者が「人気」をどう予測するか、「人気」をどうやって都合の良い方向に誘導しようかといった「恣意的な判断や操作」に左右されている可能性があります。「人気」だけの方が、スッキリしてていいのではないでしょうか。

> 今回の騒動のように人々の興味があつまれば、盛り上がるのでしょうけれど、小難しいような政治や環境が人々から敬遠されていたら、扱いは小さいですよね。

「小難しいような政治や環境」の話は、今でも小さいですし、「人気」で判断しても小さいでしょうね。何か変わるのでしょうか?

> 技術士なんて日本の中の大多数から見れば、どうでもよいことで、扱い小さいかもしれませんよね(笑)。

今までのマスコミでもほとんど扱われたことはないですよね。私は大新聞で技術士の記事を見たことがありません(読んでないだけかな?)。

> でも、皆さん大切な仕事を誇りを持って(?:希望的観測含めてます)していますよね。それが、「人気」という価値観のみで判断されてしまってよいのでしょうか。

どうせ扱いが小さいなら、「人気」という不特定多数の価値観で判断された方が、特定の記者や編集者の価値観で判断されるよりははるかにましじゃないかと思います。

> 人気に迎合した意見ばかりになってしまいませんか?それは一種の人気による情報操作になりませんか?

人気に迎合することが悪いことだとは限らないのでは?読者のニーズに合致させようとすることですから。迎合することによる情報操作というのは可能でしょうか?多数の市民記者が勝手に思い思いの記事を書いて人気で選別されるのに、誰がどうやって操作できるのでしょうか?大マスコミが意図的に情報操作をするよりはるかに操作しにくいんじゃないかと想像しますが、いかがでしょうか。

> 自分にとって大切ではないことは切り捨ててしまってそれですむような世の中ではないはずです。

そのとおりだと思います。大マスコミ時代には切り捨てられてきたものが、ネット時代では逆に存在価値を高めていますね。技術士の件もそうでしょう。多少の問題はあるかも知れませんが、良い方向に向かっていると思います。

> 同世代とくくられるような人でもそういう風に考える人もいるのだなーと思ってください(きっと少数派?意見)。

うらんさんのご意見が少数意見かどうか分かりませんが、少数意見だとしても、いやむしろ少数意見だからこそ、たいへん新鮮で貴重な意味を持つと思いますし、そういう意見こそ「人気」が出るのではないでしょうか。すでに多くの人が言ってることを繰り返し聞くのはつまらないものですよね。

社会科学者  ++.. 2005/03/22(火) 21:51 [1702]





 大阪市職員厚遇問題 
この掲示板の話題にふさわしくないのを承知の上で載せます。
みなさんは、どのようにこの問題を考えておられるかを教えて下さい。

・本間正明氏問題に関して

本間氏を解任したことに関して、大阪市は「本間氏のやり方(中央官庁からの人材受け入れ)は、
『三位一体の改革』に矛盾する。これからは地方分権の時代だ。」と主張しているが、まったくもって頭の程度の低い発言としか思われない。
 そもそも、これまで国のコントロール下で分配されてきた財源をまったく生かし切れず、大阪市職員の
厚遇にばかり使用し、無責任な誰の責任も問われない第三セクターに投資し、赤字再生団体に成り下がろうとしている大阪市に財源を移譲してどうするのか?
 頭の悪い息子の小遣いの金額を上げるようなものでしょう。(笑)
 どこの世界で、赤字ばかり出している支店(大阪市)に権限、財源を強化して運営させていく会社(国)があるのか?
本社(国)から役員を送り込み経営の改善、健全化を図るのが普通でしょ?
 まったくもって馬鹿丸出し。
 大阪市市民のこちらまで恥ずかしくなります。
 大平助役は、「私が改革担当補佐官では不足ですか?」と述べられていたが、まったくもって不足と
言わざるえない。
 公務員お得意の『言葉のうわべだけをなぞった論議』に始終して自己満足、マスターベーションしているような組織には改革など不可能。
先行き真っ暗である。


・大阪市区役所の窓口時間サービス延長に関して

カラ残業の次は「押し売り残業」ですか?
頭の程度以前に人間性を疑います。
以前は、時間外の住民票の写しの発行や転出入届の受け付けをコンビニなど他機関に代行させ、自分た
ちでまったく仕事する気が無かったくせに、いまさら何を言っているのか。
 だいたい、「減収で職員の士気が低下する」!?ことの対策のサービスなどに「本当の意味でのサービス」は期待できないでしょう。
また、単価の高い大阪市職員の使用は、費用対効果が悪すぎる。どうしても、サービスすることが必要なら、民間業者に代行させた方が効率、質の良いサービスを期待できることは自明の理である。
さらに、大阪市職員に資本投下するくらいなら、民間業者に投資した方が大阪の経済活動にも寄与できるでしょう。なぜなら、大阪市職員の大半が大阪市市民ではないのですから。

そもそも、どこの世界に「減収で士気の低下した職員」に手当を都合する会社があるのか?
気にくわなければ辞めて下さいでしょう?
まったくもって馬鹿丸出し。
 大阪市市民のこちらまで恥ずかしくなります。



 
大阪市民  ++.. 2005/03/18(金) 13:45 [1658]

 
ゴーンさんかホリエモンあたりを引き抜いてきて、市長に立候補させるってのはどうでしょうか?ムリだったら北川元知事あたりはどうかな?出来高払いとして、厚遇カット分の半額をボーナスで払う契約にするといいかも知れませんね。
社会科学者  ++.. 2005/03/18(金) 14:53 [1659]

 
大阪市の税金を職員にいいように使うことにしか考えないような市長を選んできた大阪市民の責任が一番大きいんじゃないでしょうか?
平成11年の大阪市長選挙は投票率が33.6%
平成15年の大阪市長選挙は投票率が33.3%   です。
関市長も大阪市助役出身ですが,これだけ低投票率だと大阪市職員一同や大阪市の税金にたかる人たちの組織票でほとんど市長が決まってしまうでしょう。
真摯に反省すべきなのは大阪市職員ではなくて大阪市民だと思います。横山ノックを知事に選んだり,ふざけている場合じゃないですよ。大阪市民はオレオレ詐欺の被害が一番少ないらしいですが,税金がいいように使われて,詐欺被害に会っていることをもっと自覚すべきだと思います。詐欺被害に会う人というのは,被害者であるという意識が強く,被害に会った自分の責任を認識できていない人が多いです。そして,そういう人は何回も詐欺に会ってしまいます。
大阪市の有権者はもっと真摯に反省して,職員の利益ではなくて自分たちの利益になるような人を選挙で選ぶべきだと思います。少なくとも次回の選挙では大阪市職員一同が推す人ではない人を市長に選ぶべきですね。そうじゃないといつまでたっても何回も詐欺に会いますよ。
大阪市民さんは『大阪市民のこちらまで恥ずかしくなります。』なんて他人事のようですが,他の市民から見れば,職員たちにいいように騙されて,さんざん借金を背負わされている大阪市民が一番恥ずかしい対象です。

中西一善さんという人が酒に酔って女性の胸をわしづかみにしてつかまっていましたが,私はこういう人を国会議員,しかも衆議院議員に選んだ東京4区の有権者の責任をもっと追及する声があってもいいと思います。

青い炎 [URL]  ++.. 2005/03/18(金) 16:38 [1660]

 
青い炎さんに同感です。
今回の事態をプラス方向へのきっかけとして、市民の声をバックに市長が英断を下せるような市になってくれることを切望します。
しかし大平さんは体制に飲み込まれてしまったのでしょうか?

APEC  ++.. 2005/03/18(金) 22:43 [1664]

 
大阪市区役所の窓口時間サービス延長に関して言えば、青い炎さんの大阪市民責任論に同感です。

本間正明氏問題に関してですが、同様な基盤に立って整理すれば、私はこう整理します。
・公務員を選ぶのは国民の権利である。
・間接民主主義では国民は代表者に行政を負託する。市長は市民の負託を基盤として行政権をふるうことができる。よって市長が公務員を採用できる。
・本間氏は市民に選ばれた公務員ではない。あくまでその権能は市長に座長を委任されたことに依拠するものである。
・よって本間氏が公務員人事について市民の負託を受けた市長を差し置いて「これを飲め」ということは許されない。

で、結局大阪市民責任論に戻り、本間氏が独自に人事をしたいならば市長のリコールを図り、市長選で本間氏またはその意見の代弁者が当選して実施すべきであり、大阪市民も本間氏の意見に賛成ならば、リコール・選挙で意志を示すべきである。
それまでは選挙で当選している現市長がたとえ低投票率であっても正統であると考えます。

> 今回の事態をプラス方向へのきっかけとして、市民の声をバックに市長が英断を下せるような市になってくれることを切望します。

市民責任論は、新聞のへ投書や街頭インタビューなどで「市民の声」を挙げればいいことではなく、被選挙権・選挙権を通じて市政を正しい方向に持っていく、ということだと思います。
もちろん負託を受けたものは日々市民の声に耳を傾けるべきだと思いますが、選挙で声を挙げてないのに、いま無責任に市民の声を聞けというのも、間接民主制を正とするのならば変な話です。

> しかし大平さんは体制に飲み込まれてしまったのでしょうか?

本当の彼女の心境は知りません。しかし「体制に飲み込ま」という言い方はどうかと。彼女は弁護士ですし、少なくとも上記の間接民主制を正とするならば負託を受けている市長が正であり、市長に任命される助役としては市長を差し置いて「これを飲め」といった本間氏は不正と判断しているのではないでしょうか。

まてぃ  ++.. 2005/03/21(月) 17:21 [1681]

 
大阪市労組の主張を見つけたのですが,強烈ですね。
http://homepage1.nifty.com/osaka-shiro-so/karazaigyo-danwa.htm
以下『大阪市における「カラ残業」問題について』大阪市役所労働組合書記長藤原一郎から抜粋

『職場では予算がないと言われ続け、職員の自己規制のもと「時間外に仕事をしても超過勤務命令簿に記載されていない」現状があります。そういう点では、時間外労働を規制していくことと同時に「サービス残業」を職場から根絶していくことが重要で、多くの職場で、人員削減などによって業務過重になる一方で、人件費抑制の一環として超過勤務手当予算の縮減などがおこなわれ「サービス残業」が蔓延しているのが実態です。そして、この対極に「カラ超勤」が存在しているのです。
(中略)
いま、小泉「構造改革」による雇用悪化、低賃金、過密労働の深刻化などとあいまって、年金、医療、福祉に及ぶ社会保障の後退など自治体リストラ、住民リストラが横行しています。これら国の悪政から住民の生活を守る防波堤としての自治体のあり方、役割がますます求められています。それだけに市民は、これらの期待と信頼に応える自治体=大阪市と住民奉仕のため懸命に働く職員の存在を強く願っていると考えます。
 市労組は、市当局の職員に対する時間管理・健康管理の責任を追及し、超過勤務命令簿の運用改善、人事委員会など労働基準監督機関による職場巡視や産業医による管理職研修の充実・強化、長時間労働に対する産業医の指導や検診などを含む具体的方策の策定を求め、実効あるものにするため運動をいっそうすすめるものです。』

大阪市会計監理検討委員会の調べによると,2003年度の明らかに認定されたカラ残業は9000件以上で,疑い例は4万6000件だという。このことに対しての大阪市労働組合のコメントは『サービス残業が蔓延しているのが実態で,これを改善する必要がある』というものである。どんな神経をしているんだろう?
さらに,『超過勤務命令簿の運用改善,長時間労働に対する産業医の指導や検診などを求めていく』ということである。よくこんなことがこの時期に言えるなぁとある意味感心してしまう。どれだけぬるい湯の中に浸かっているんだ。

私には全く理解できないのだが,大阪市民はここまでバカにされてなんとも思わないのだろうか?大阪市の財政が破綻した場合,結局国が支援することになるだろう。つまり日本国民が大阪市民のデタラメの尻拭いすることになるだろうから,私たちにとってもひとごとではないのですが。

しかし,私は予言しておきますが,こんなデタラメは絶対正されることになると思います。今ぬるま湯につかっている大阪市職員は将来厳しい目に会うと思いますよ。絶対に!

青い炎 [URL]  ++.. 2005/03/21(月) 19:58 [1685]

 
ちょっとスレの趣旨からはずれますが、

確かに、組織ではトップが変われば、すべてが変わるのは道理でしょう。そして、情報公開を進めれば、確実に役所はよくなります。

しかしながら、公務員の本質的な問題点は、その身分保障制度にあると考えています。この悪しき平等主義は、モラルハザードを引き起こしつつあります。

要は、努力した人には利がある、これは仕事の鉄則ですが、現在の公務は、努力しても処遇や給料などには大きく反映されません。いわゆる各個人の意欲の高さ、地域に貢献しようという姿勢に頼りすぎています。

一応、評価が高い人は、重要ポストなどでその処遇が反映されていきますが、「重要ポスト=忙しい」ですから、結局は、給料が変わらずに仕事はハードになります(超勤給与は上限あり。サービス残業など当然のこと。180時間で3万円?)。病気をしなければ、最終的にはそれなりの差がつくのでしょうか。よくわかりませんが。

以上より、やる気のない公務員は、それなりの仕事しかしません。開き直ったときの公務員ほど、楽な仕事はないでしょう。クビにならないのですから。

このシステムを変えなければ、早晩、公務員システムは崩壊すると思います。

一方、防災対応など、行政が担う役割や期待は高まっています。公務に携わる者にとって、その自覚が必要でしょう。大阪市を反面教師に、といったところでしょうか?

↓公務員の実態というサイトを参考にしましたが、大阪市とは状況が違いますね。
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/official/part1.html

rapid river  ++.. 2005/03/21(月) 21:53 [1688]





 足立区の試み 
人口減少は東京都区部周辺にも及ぶようで、何年後か聞き漏らしましたが、区部の21%19万人が減少するとのことです。小学校の廃校は地方の田舎だけでなく夜間人口が減少する都会でも確実に進んでいるようです。報道では1クラス10名以下に見えました。ひょっとすると複式学級かもしれません。
 足立区ではこうした廃校を利用し、都心に芸術大学を誘致する計画だそうです。計画は区役所と建築設計会社が合同で立て、増築部分で30億円かけるそうです。
 私としては増築など一切せず、現在ある施設の改築だけで、ハードの金をかけない計画にしてほしいと思いました。建築会社に頼むとそうなるという限界かとも思いました。もっとソフトに金を出すシステムが必要かと思います。如何考えます??

 
魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/15(火) 09:14 [1635]

 
 ぅーむ、廃校の利用方法ですか。小生は芸術などと言う前に生存競争に敗れたホームレスの方々の宿泊施設として改造するべきであると考えます。誰もが懸命に生きてきたはずです。が、不運にもホームレスになってしまった人々に社会は手を差し伸べなければなりません。芸術大学ですと・・・・芸術などというものは、教えられるべきものではなく、自得するべきものであります。そのような下らぬ遊びに公共施設を使用するなど許されません。その前に、寒空に震えて眠るホームレスを救わねばなりませぬ。その運営はNPOに任せればよろしい。NPOは、運営資金を善意の寄付でまかなえばよろしい。芸術云々の前に、社会はなるべきことが沢山あるはずである。
アル中技術士  ++.. 2005/03/15(火) 10:21 [1636]

 
「そのような下らぬ遊びに公共施設を使用するなど許されません」。という下りは言い過ぎました。申し訳ありません。
 だが、わが国は不運にも倒れた企業戦士を救う方策を立てねばならぬと思います。世の中には、恵まれた境遇の人ばかりではありません。零細な町工場で懸命に頑張って働いてきた人の大勢います。そして町工場が倒産、万やむを得ずホームレスになった人々も大勢おられる。芸術とやらの前に、社会が行わなければならぬ施策があると思いますが。とりわけ足立区という場所は、東京でも貧しい人々が多い場所であることを思うと、区役所の考え方が小生には理解できぬものがあります。

アル中技術士  ++.. 2005/03/15(火) 11:13 [1637]

 
アル中技術士さんにちょっと反論させてください。
芸術は一番大事ではないかもしれませんが、切り捨てていいもの、どうでもいいものとはいえないと考えます。
たとえば災害時、あるいは戦争時に、芸術は何ができるだろう、芸術は満ち足りているとき以外はお呼びでないのだろうかというような自問自答を多くの芸術家がしてきましたが、人はパンのみに生きるにあらずであると私は思います。
なお、芸術は不要なら、これはたとえば娯楽全般、あるいはスポーツなど、生産に直接関係ないものは同じですね。でもそうなると無味乾燥ではないでしょうか。
私は、芸術が不要だという発想は、基礎科学がムダだという発想と通ずるものがあると思います。人間社会は潤いも必要ですし、未来へ向けての積み上げも必要です。それらはいずれも直近の具体的成果を生みにくいので疎んじられますが・・・・

2つ目です。
運営をNPOにまかせるが、その財源は善意の寄付で、というような不安定な組織運営を公共ができるでしょうか。
私自身NPOを運営していますが、組織が安定しないと社会に対して責任ある役割を担うことができないことを痛感しています。ほとんどのNPOはこの認識のもとで、安定収入と常設事務局という組織安定への道を模索していくのが現実です。
失礼ながら、NPOというものを軽く見ておられるように感じて、非常に残念に思いました。

APEC  ++.. 2005/03/15(火) 12:55 [1638]

 
魔法使いさん、横道にそれるレスをして申し訳ありませんでした。改めてスレの本題にレスさせていただきます。

私ならハード・ソフトはこだわらず、「廃校を使って芸術大学を作り、運営する」というBOT形式のPFIにかけますね。
既存インフラの使い方はアイデア次第です。たとえば校舎の2階から上は芸術大学の校舎、1階はコンビニや本屋などのショッピングゾーンといった使い方もできるかもしれません。
また小学校なのだから、校舎が全てではないわけで、体育館とか運動場もありますよね。小学校として使っていると、夜間や長期休暇の間はこれら資産は無駄になってきたわけで、これを活用すれば運営資金をかなり捻出できるかもしれません。
こういった目的のためにハード整備もソフト整備もあるわけで、目的が明確であればこだわる必要はないと思います。既存ハードをそのまま流用してもよし、目的に応じて投資してもよしです。
BOTですから運営も込みなので、見通しさえ誤らなければ行政はかなり楽だと思います。
思いつきばかりいいかげんですが・・・・

APEC  ++.. 2005/03/15(火) 21:07 [1639]

 
まず横レスですが、APECさん、アル中技術士さんは、芸術よりもまずホームレス対策をすべきだと主張されてますよ。「人はパンのみに生きるにあらず」の前に、「パンさえもない人たちにパンを与えよう」ということだと思います。決して芸術は不要だと言ってるのではないと思いますよ。まあ、どっちにしても、魔法使いさんの問題提起からズレちゃってるのは同じですけどね。

次に本題のハード・ソフトの話ですが、APECさんのおっしゃるように、PFI的な手法でハード・ソフトをどうするかも含めて民間の創意工夫を最大限に発揮してもらうのがいいでしょう。計画は区と建築会社で立ててしまってはダメで、建築会社と芸術大学法人と銀行がコンソーシアムを組んで事業運営案をとりまとめてから区に提出することになります。せっかく芸術大学にするのであれば、建物への投資やリフォームも、芸術作品としてやってもらいたいものです。学生のための卒業作品として少しずつ形にしていくのもいいでしょう。とにかく、今まで聞いたこともないようなアイデアを出してもらいたいものです。
そうなると、事業形態としてBOTおりもBOOの方がいいかもしれませんし、コンソーシアムが信頼に足るパートナーであると思えれば、売却や譲渡してしまってもいいかもしれません。ただしその場合には、事業が軌道に乗らずにショッピングセンターやパチンコ店などに売却されないよう、用途地域を変更して文教地区にしたり地区計画をかけるなどして政策目的に合致した土地利用が行われるような担保を取っておくことが不可欠でしょう。

最後に、魔法使いさんにマッチポンパー扱いされた建築会社の名誉のために指摘しておきますが、彼らは芸術大学側のニーズを的確にくみ上げて世界的な芸術大学を出現させて見せる「魔法使い」さんかも知れませんよ。

社会科学者  ++.. 2005/03/16(水) 00:08 [1640]

 
社会科学者さん、私は「優先順位」ではなくて、個々の「絶対評価」について異論を唱えたつもりでした。優先順位をどうおくかは人それぞれだと思うのですが、後のほうの順位に位置づけることと、蔑むような言葉を浴びせることとは別だと思ったので、反論させていただいたのです。とはいえ、誤解を与えやすい表現でしたね。申し訳ありません。

BOOですか。おっしゃるとおり、よほど信頼がおけないと先行き不透明な時代に踏み切れませんよね。BOOの実例は多いのでしょうか?
景気が本当に悪いと誰もがじっとこらえていますが、回復してくると「さあ、今度はどっちに行くんだ」という話になってきて、群雄割拠になってきます。ライブドアvsフジの問題がこれだけ騒がれるのも、「身内の火事」を面白がる軽薄マスコミのせいだけではないと思うんですよね。

APEC  ++.. 2005/03/16(水) 09:31 [1641]

 
APECさん、誤解はしていませんよ。仰るとおりに受け取ったうえで、「それは誤解じゃないでしょうか?」という指摘させていただきました。
アル中技術士さんは、「絶対評価」はしていないと思います。あくまでも「優先順位」が、芸術よりもホームレスの方が上じゃないかと。
「蔑むような言葉」については撤回して謝罪されています。おそらく、ホームレス問題への強い思い入れからくる勇み足だったんだと思います。
Aを主張したいがために、比較対照であるBを貶めてしまう…よく見られるヘタな論法です。
それに対し、APECさんは「芸術」(それと「NPO」)への強い思い入れから過剰反応した、という構図だと私は受け取りました。

真意を冷静に正確に伝えることは難しいことです。正確に伝える努力をすることはもちろんですが、正確には伝わっていないことを前提に、「好意的な解釈」と「攻撃的ではなく建設的な議論」を心がけることが、特に双方向コミュニケーション社会では必要なのではないかと思うのです。おっと、釈迦に説法になってる…。

それでやっと本題ですが、BOOの実例は、詳しくはありませんが、少ないと思います。ほとんどがBOTかBTOですが、BTOが多いと聞きました。所有権を移しちゃえば補助金も出せるし税金も払わずにすみますから。ただ今後はBOTが増えそうです。制度も改正され、やっぱり施設を所有しながら責任を持ってサービス向上に努めてもらいたいということでしょう。さらに、運営期間を限定してしまうよりも、永続的に運営する方が本気で取り組んだり長期的な工夫をするようになるでしょうから、今後はBOOも検討されるようになると思います。
その際、事業者への「信頼」が重要なことは確かですが、それは経営者の理念とか人間性はもちろんですが、もっと大事なことは、「事業者がなりふり構わず利潤を追求したときでも、適切なサービスが安定して供給されるだろう」と確信できることです。20年も30年も経てば人の心はいくらでも変わりますが、「株式会社は利潤を追求する」という仕組みはそうそう変わるものではない普遍的なものと思われるからです。
もっとも、その「確信」をどうやって確保し、どう判断すればよいのかは、永遠の課題なのかも知れません。

社会科学者  ++.. 2005/03/16(水) 19:46 [1644]

 
社会科学者さん、NPOについては確かに過剰反応かもしれませんね。「行政にお手軽に利用される」ことに関してはどなたも苦労しておられることと思いますし。
芸術には別に思い入れは持っていませんが、どうでもいいものだとも思っていません。ただ、そのようなものに対するニーズは人それぞれではありますね。
アル中技術士さん、お気を悪くされたらごめんなさい。発言を取り消す気はありませんが、少し言い過ぎたと思います。

BOOの実現のためには、利潤追求だけでいいのかなという気もします。公共性の高い施設や公共施設そのものの運営という仕事を担える企業であるかどうかは、儲かっているかどうかだけの尺度では測れないのではないかなと思うので、トリプルボトムラインなどの尺度を導入する必要はないのかなと思います。

多くの自治体は、指定管理者制度の導入の段階でもたついている状況ではないかと思います。
特に既存の外郭段階(天下り先)を管理者指定していくかどうか、という問題に悩む自治体は多いようです。地方では管理を担える民間企業・団体も少ないので、最初は外郭団体しか指定先がいないとか、ちょっと笑えてしまう状況もあるようですね。
最初はそれでも仕方ないけれど、少しずつ公共施設も市民自らが管理していくようになっていくべきだと思います。
そのためには、企業とNPOの協働というスタイルも出てくるのではないかと思っています。

APEC  ++.. 2005/03/16(水) 20:45 [1645]

 
APECさん、BOO(BOTなどでもそうですが)の実現のためには、「利潤追求だけでいいのかな」というよりも、「利潤追求まで考えておいた方が安心」という考え方が必要かと思います。
トリプルボトムラインやCSRの面から公共性に配慮した企業を選別することは可能でしょうが、そういった特性が超長期にわたって継続するという保証はありません。
数年後にライブドアのような新興勢力に買収されて、株主重視、利潤最大化の経営戦略に突然変身しないとも限りません。
契約締結時に、性善説に基づいて企業の好意に依存した事業スキームにしてしまうと、経営戦略が変化したときに当初期待した政策目的が達成できなくなる可能性が高いということです。
そこで、性悪説と言っていいかどうかわかりませんが、最初から「企業は利潤を追求するものだ」という前提に立ち、よい公共サービスを提供することが利潤につながるような事業スキームを契約で規定しておくことが重要になります。
もちろん、企業は大抵は反社会的なことなどしないのですが、先ほどの買収で経営戦略が変化する場合や、事業が傾いて背に腹は代えられない場合などに備え、フェイルセーフ(フールプルーフ?)を確保しておくということかと思います。

社会科学者  ++.. 2005/03/17(木) 01:52 [1648]

 
足立区は東京芸大の音楽科に特化して千住キャンパスとするようです。
http://www.city.adachi.tokyo.jp/009/d00100010.html
この界隈には演劇や映画の拠点も出来つつあり、区はここをブロードウェイのようにしたいのでしょうか?随分格調の高い計画のようで、私など、すぐ眠くなるような仕掛けが一杯のようです。
 ミュージックはもっと下世話なところから生まれるのではなかろうか?誰に気兼ねなくガンガン練習できる場所になるのだろうか?

魔法使い  ++.. 2005/03/17(木) 09:21 [1649]

 
何だ、ずいぶん具体的なんですね。「文化芸術都市」ですか。まあそれも一つの選択肢ではあるでしょう。
足立区といえば、手動踏切で事故があったところですね。「今時の日本にまだ手動踏切があるのか」とびっくりしたらそれが東京だったので2度びっくりしました。駅の改札が自動になったのも大都市では最後のほうですし、東京ってやっぱようわからんなあと思う今日この頃です。

私も音楽は誇りっぽいバーでジャズやソウルを聞くのがベースだと思っているくちなので、「音学」になるようですと個人的には敬遠しますね。人間の作りがあまり良くないようで、ソウルなんかに心動かされたりするくせに、クラシックピアノの良い悪いに関する感性が人の数倍にぶいようです。

APEC  ++.. 2005/03/17(木) 10:38 [1650]

 
へえ、足立区もがんばってるんですね。前に「計画は区と建築会社で立ててしまってはダメ」といいましたが、こういう取り組みは役所がリーダーシップを発揮しないとできないでしょうから、前言は撤回しときます。

「アート・リエゾンセンター」というのに興味をそそられます。「芸術文化を社会に結びつけるための様々な活動を行う組織機能で、産業界、国立の諸組織、国内外の研究者・アーティスト、地方自治体、教育界との連携を可能にします。」とのことですが、「ホンマかいな?」って感じがします。
「文化・芸術の発信拠点が形成されます。」なんて軽く言っちゃってるとこも気になるけど、今後の活躍に期待したいところです。

ところで、連絡先になってる「政策経営部」という部署、ずいぶん区役所らしからぬ名前だなあなんて思ったら、いくつかの区役所で同じような名前の部署があるみたいですね。

「行政経営革命」が大流行ですが、かつてのリゾートや三セクのような夢のばらまきにならないようにがんばってもらいたいものです。

社会科学者  ++.. 2005/03/17(木) 19:04 [1651]

 
コ難しい理屈は抜きにして
@芸術活動に対する場の提供(ドンチャカやれる場を確保)
A若手芸術家の育成支援(ドンチャカやる人の支援)
B子供の創造性を高める芸術教育の強化(ドンチャカ予備軍の育成)
CIT関連産業の支援(ドンチャカ産業支援)
D放送文化に関する資料の提供(資料の提供)
の5つの分野に渉って支援しようと言うことのようです。
和太鼓を叩きまくると言うのはどこに入るのでしょうか?
Aかな?Bかな?
カラオケ文化の育成と言うのはどこになるのでしょう?
マツ健サンバは楽しめるのかしら?
私は、もう少し生涯教育寄りの企画かと思っていましたが、
団塊パワーをどのように取り込んでいくつもりでしょうか?

魔法使い  ++.. 2005/03/17(木) 19:33 [1652]

 
これも横道レスですが、APEC殿、NPOの活動実態を良く理解しないまま発言してしまったことお詫び申し上げます。完了検査のため、出張しておりましてお詫びが遅くなりました。
 舌足らずな発言でしたが、小生の真意は区役所のような住民に直結した公共機関ならば、まず住民の福祉を優先するべきである、ということでした。芸術を軽視するものではありません。世の中には恵まれた人が想像もできないような貧しさがあります。区役所が芸術に力を入れてはならぬ、と主張しているわけでもありません。住民の最も身近な行政機関としては、予算があるならまずホームレスに手を差し伸べることが先決であろうと考えた次第です。
 なにはともあれ、小生はネットでの発言ルールを良く心得ておらぬようです。とりあえず、お詫びまで。

アル中技術士  ++.. 2005/03/18(金) 09:32 [1654]

 
ホームレスの宿泊施設として利用するプランもあるでしょうが、問題は彼らがそれを望むかと言うことです。宿泊施設より彼らに必要なのは働く場でしょう。
 変なたとえで誤解されるといけませんが、江戸時代には「寄せ場施設』といった名前の日雇い人足場があったはずです。
 刑期を終えた人や社会からあぶれた人が、とりあえず身を寄せる場所が無いというのがつらいですね。都市にはこっそりとかひっそりとかいった場所が無いといけません。一人でクダ巻いてみたい時だってあるのですから・・・・。
再開発の何がいけないかといって、こうした場所をなくしてしまうということでは無いでしょうか?

魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/18(金) 10:59 [1655]





 団塊世代の技術者達の本音 
昭和22年4月から昭和25年3月ぐらいまでに生まれた世代を団塊の世代といいます。この世代は700万人ぐらいおり、消費行動からものの考え方まで、それ以前の世代とは異なる考え方と行動で社会に大きな影響を与えてきたといわれています。
 この世代が2007年からの3年間で大量定年の時代を迎えようとしています。この影響は一般社会に留まらず、技術士(者)の世界も同様と考えます。
 さて、定年間近のこの技術者たちはどこへ向かおうとしているのでしょうか?
今まで折に触れて取り上げられてきた意見は
@リタイア後は、自分の両親のいる故郷へ帰り帰農する。
A給料は安くなるが同じ会社に勤め、生涯現役で都市生活を続ける。
B海外技術協力に参画して、社会資本整備に貢献する。
CNPO活動に参加して自分の存在価値を確かめる。
Dこれまでの預貯金で生活し、ブログを立ち上げてインターネット社会で生きる。
といった考えを思いつきます。
 早期退職も結構増えてきているようです。
現実的なな意見としては、これまで社内で培ってきた人間関係やら技術力やらを生かして、今の会社に居座り続ける、という考えもあります。言い方は悪いですが、人口減少社会の中で、持てる技術を売るという意味ではきわめて正当な行動であり、私などはこの部類に入ることになるかと考えています。皆さんはどのような生活設計を立てているのでしょうか?本音のところをお聞かせください。 

 
魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/14(月) 11:53 [1634]

 
団魂世代の皆さんより一足先に定年退職をこの3月に迎える者です。
魔法使いさんの後で私が本音を語るのは心づらいですが、批判を覚悟で述べます。
@今後、新たに技術力(技術士)を習得してその技術の生かせる会社に勤める。
A今までに習得した資格を生かして、今までと異業種の会社に勤める。
Bブログを立ち上げてインターネット社会で生きる。
C技術力の不要な仕事を嘱託員として勤める。
D生涯教育に努める。生涯教育の手段として資格取得(技術士)に挑戦する。
Eボランティアで活躍する。
 いろいろな方面にアタックしましたが、当面CとDです。Dが@につながらないか、淡い期待を持ちながら。ABへの希望も捨てていません。あまり希望を持ちすぎると短い人生が終わってしまう。退職間際になってこのような状態で、笑われてしまうでしょうね。

aoki  ++.. 2005/03/16(水) 18:25 [1643]

 
aokiさん、一足早くですか。長い間お疲れ様でした(とはいえ当面嘱託でお仕事とのこと次がありますね)

さて、小生は、欲張りですから、魔法使いさんに1、3、4aokiさんの3,5,6をミックスして行こうと考えています。関与しているNPO、NGOが4つほどあります。国外での活動が2団体、国内が2団体です。

帰農のほうは、昔取った杵柄で何とかなるでしょう。資格は、何回かここでも書いたように5分野10科目狙いで行きましょう。そうすると、定年後暫くは技術士受験が続きそうです。目途が立ちそうになったら、60の手習いならぬ、60の受験本でも出しましょう。

今は、少し早めに種を撒きすぎて、定年までに育ちすぎるようで、そちらのほうが心配です。


YOSHI  ++.. 2005/03/16(水) 22:43 [1646]

 
魔法使いさん,ごめんなさい。スレとは全く関係ない無い内容です。

aokiさんへ
 これまでaokiさんは,この掲示板やAPECさんのページの掲示板へ書き込みされているのは存じていました。また,特に私のような中年技術者では敬遠しがちな「基礎的分野」での高い見識には感心,啓発されていました。
 そして,この度ご退職されるとのこと。長い間,お疲れ様でした。そしてお世話になりました。(直接的には存じ上げませんが,そんな気がするのです・・。)

 あくまで,私の印象,というか「感傷」なんですが,「何か」が終わる時というのは,「寂しい」とか「ありがとう(感謝)」という感情と同時に,いえそれ以前に「美しい」と感じてしまうのです。(そんなことありませんか)。例えば,バンドが解散するとき,その最後の楽曲(レコード)はどんなものでも美しい。(ザ・バンドが解散する時リリースした「ラスト・ワルツ」の3/4拍子の美しいこと!!)
 そして職場でも,私も今まで何人かを見送ってきましたが,「ご苦労様」とか「ありがとうございました」との気持ちよりも,「何かをやり遂げたこと」は「美しい」との思いで拍手を送っていました。子供の頃に「ガメラ」の併映で見たチャップリンの「サーカス」のラストシーンを見た時以来です,それ以後も・・。心から湧き出てしまいます。「その最後は美しい。」
 感傷が過ぎてしまいました。
 
 とにかく,aokiさん僭越ですがお疲れ様でした。そして,これからの活躍を祈念しています。
 ところで,「美しい終わり」を迎えた人こそ,「続き」がたくさんあるんですよ(どんでん返しかな)。皆が「えっ,終わったんじゃ・・」と思いつつ,顔ではニヤッとしてるんですよ。「やっぱりね!!」ってね。期待しています。書き込みも・・。
乱文失礼しました。
 

 

やっぱり頑張りすぎ  ++.. 2005/03/17(木) 00:27 [1647]

 
 aokiさんは確か行政の経験が長かったと記憶しています。今後まちづくりに参加されるとしたら、市民の視点に立つと言うことが大切になると思います。
 役所のOBとして発言し始めると総スカンになりかねません。そのためには市民、住民の目線で観察し考え、そうした意見を如何に行政システムの中で実現できるか、そんな知恵の絞り方もあるのではないでしょうか?
 そんな結果の積み重ねがが、技術士の経験論文に繋がっていけば、最高です。
 あせらず、騒がず、じっくり取り組みながら、体験談をブログやホームページにして発表されてはいかがでしょうか?きっと共感者も現れます。
 まち歩きから始めるのもいいかもしれません。お近くのNPOセンターに出向かれるのも一つの方法です。

魔法使い [URL]  ++.. 2005/03/17(木) 19:49 [1653]





 試験インターネット受付 
 地方の測量会社で勤務しています。今年から技術士試験もインターネット受付が始まりましたね。
 私はインターネットで受付をしましたが、弊社は、GISにも取組んでいるので、フォームなどとても参考になりました。
 GISでも、通常業務でも、わかりやすく作るのがとても大事だと思います。

 
地方測量会社  ++.. 2005/03/16(水) 10:10 [1642]





 コンサルタントが悪い 
発注者側です。私の経験は以下のとおりです。
・設計業務のほとんどにミスがある。大手といわれるコンサルも同様唖然とする状況!、計算書と図面の不整合が多い。鉄筋に関するミス(配力筋、間隔等)基本的なミスが多い。・役所の職員でも、チェックを行えば、防げるミスは多いが、チェックをする習慣になっていない。正しい物として受領する。・別途計算して、安全性が確保できれば、解体手直しまで必要がないのでは?・コンサル賠償保険制度があり、保険でリスク回避を!


・コンサルタントの照査体制が

 
バカぼんぼん  ++.. 2005/03/05(土) 22:31 [1606]

 
コンサルタントに勤務するものです。
確かに、ミスが多いのは事実です。否定できません。
お恥ずかしいが、その通りです。

契約している以上、やって当たり前なのですが、
ただ、ミスを防ぐ発注者側の取れるべき措置があります。
それは、年度末納品となる業務とせず、早期に(年度前半に)
発注すること。
コンサルタントの年度末は、人間の限界に近い状態です。
それが1〜2週間程度の話ならよいのですが、3ヶ月くらい
続きます。大抵の家庭がその間、家庭崩壊しています。
これでいい成果品ができるわけがありません。
開き直るつもりは毛頭ありません。
繰り返しますが契約している以上、やって当たり前だからです。

ただ、役所の人は、年度末に集中することを
予算が決まるのが・・を言い訳にしていますが、
これを変える努力は惜しみなくやってほしいなと切に要望します。

コンサルタントを含めた民間人も市民には違いありませんので。
よろしくお願いします。

あらあら  ++.. 2005/03/06(日) 01:48 [1607]

 
> コンサルタントに勤務するものです。
> 確かに、ミスが多いのは事実です。否定できません。
> お恥ずかしいが、その通りです。
>
> 契約している以上、やって当たり前なのですが、
> ただ、ミスを防ぐ発注者側の取れるべき措置があります。
> それは、年度末納品となる業務とせず、早期に(年度前半に)
> 発注すること。
> コンサルタントの年度末は、人間の限界に近い状態です。
> それが1〜2週間程度の話ならよいのですが、3ヶ月くらい
> 続きます。大抵の家庭がその間、家庭崩壊しています。
> これでいい成果品ができるわけがありません。
> 開き直るつもりは毛頭ありません。
> 繰り返しますが契約している以上、やって当たり前だからです。
>
> ただ、役所の人は、年度末に集中することを
> 予算が決まるのが・・を言い訳にしていますが、
> これを変える努力は惜しみなくやってほしいなと切に要望します。
>
> コンサルタントを含めた民間人も市民には違いありませんので。
> よろしくお願いします。

・確かに年度末の納入がおおすぎることは事実です。しかし、あのミスの多いのは、信頼関係を壊すレベルですね。これからは、ミスを前提に受領していきます。

バカぼんぼん  ++.. 2005/03/06(日) 23:09 [1608]

 
提案です。最近の公正な競争落札価格は70%ぐらいですか?まれに50%、場合によっては30%とも聞きます。
当初予算を100として、照査発注することは出来ませんか?70%から30%ぐらい残るのですから、設計であれば全業務を照査出来ませんか?そのためには談合と天下りをなくさねばなりませんが、やる気があるのでしょうか?勿論一人でそんなことは出来ません。地方公務員の場合、しかるべきトップを獲得し、公務員体質と呼ばれる悪しき文化を、破壊的に創造しなおす気があれば、出来ると考えます。
設計ミスや施工ミスは、1社受注体制では防止効率が悪いのです。癒着さへ無ければ、1社受注1社照査受注体制が効果を挙げると考えますが発注者側はどのように考えますか?

魔法使い  ++.. 2005/03/06(日) 23:30 [1610]

 
 コンサルタントに勤務するものです。
 発注者の主張として「我々発注者は、必ずしも専門家ではないので、専門家であるコンサルタントに業務を委託している。成果物を受領したからと言って、責任は発注者ではなく受注者にある。」というのがあり、確か納品後10年まで瑕疵責任を負うことになっています。
成果物にミスがある事生自体、受注者の責任です。
 しかし、このような主張が正しいならば、設計コンサルトは別に、照査コンサルに照査業務を発注するとか、PM制やCM制に移行して、発注者は事務職のみに縮小するべきでは無いでしょうか?
 また、本来発注される前に設定されているべき条件が決まっておらず、それらを確定させるために、多くの労力と時間が費やされることは、成果物の品質を落としている要因だと思います。
 

チャリ通サラリーマン  ++.. 2005/03/07(月) 00:58 [1612]

 
この話題の中でよくわかるように、ミスで最も「表ざた」になるのがRC構造物の鉄筋のミスです。このミスは、場合によって構造物の安全性を大きく左右するものですが、他のミスと同じには論じ切れないものがあると思います。
これは、土木でのRC構造物は、おそらく違う分野の技術屋であれば信じられないと思うのですが、何百本何千本という全ての鉄筋の長さや加工形状や本数が示された、「配筋図」というものを作ります。最近は、代表的で標準的な構造物にたいしては対応する配筋図CADができて作図が楽にはなってきていますが、まだまだこの作成に膨大な労力を費やします。手間数が多い分、アル中技術士さんのおっしゃられるように確率的にミスの数も増えてきます。そして、描いているからこそ現場での不整合も多く発見されます。また、配置上や加工上で詳細な規定をたくさん持っています。構造物の種類によってまた違いますし発注者によってまた違います。この図面が、たぶん大半の場合、コンサルの設計担当者ではなく外注処理もしくは自社内の図面作成部所といった組織で処理されていると思います。したがって、配筋図ミスが多くなるのは必然的なことです。
担当設計者は何をやっているかと言えば、本質から相当はずれたところの「検討」や「説明」のための資料作りです。「力」があり、その発注先や発注担当者に「精通」している技術屋であれば、要領よく、また本質的なところを検討して主導的に業務を進めていくことができるのですが、普通の技術屋はそうもいきません。客先担当者やその上司、そして上位機関や関連機関などなど、ふりまわされ続きます。当然担当物件はよほどの大型物件でない限り専属ということは、経営上ありえませんので、いくつもが重なり日常的にへとへとにつかれています。早期に発注されたものも、遅く発注されたものも、さまざまな「決断」は発注者もケツが迫ってこないと「出来ない」ので結局全て年度末にずれ込みます。やっと配筋図作成にいたったころに、細かな大量の図面の隅々にきちんと配慮できるような、体力も時間も精神的なゆとりもあるわけがないのです。
別体制の検査照査体制も必須のものですが、これも年度末に納期が集中すれば納期内の検査は不可能になってしまいます。また、一般に、出口での品質検査は、非常に労力を多く要し、設計計算書と図面との不整合程度配筋図はチェックできますが、本質的なことや、「無いもの」の照査は甘くなります。また別会社が、照査して単純でないミスを見逃した場合の責任問題もあります。
現在の形態の配筋図というものが存在し、そして工事においてもこの配筋図に100%頼ってしまうという仕事を進めるやり方が続く限り配筋図のミスを完全になくすことは不可能であるかと思います。
工事を拘束する配筋上の設計図としては、設計意図を判断できる程度の要領図や細目を付記した配筋略図のみとし、現在のような配筋図はおよその数量算出のための参考図程度のものとして扱うといったものに変えていくべきと思います。こうすれば、設計者は、この少ない図面の作成に集中できますし、設計そのものを理解できるのではないでしょうか。このような図面であってこそ工事業者の責任も明確でしょうし、発注者側も設計照査の手間は省けるのではないでしょうか。
ミスやもめごとの事例があまりにも多く、いつまでも続くのは、RC構造物とその設計図のあり方に問題があり、これを変えるという方には向かわないんでしょうかね。

会検請負人  ++.. 2005/03/07(月) 02:02 [1613]

 
会検請負人さんの言われている状態
(配筋図は断面図程度でよいのでは?)に
近い状態で施工しているのは、建築関係ですね。

建築では、配筋設計者と数量算出者が全く別の会社
で別々に行うことも珍しくありません。

その結果、現地で、鉄筋の取り合いが悪いといった問題も
起きてはいますが・・・・。

アメリカとかEUROの国々の公共建築物ではどのレベルまで
作図しているんでしょうか。知っている方ご教示ください。

あらあら  ++.. 2005/03/07(月) 04:05 [1614]

 
設計ミスについてですが,逆に設計書ミスもまたなくならないものでしょうか?
100万円分の作業依頼をしておいて,後で業務委託を出すからと言いつつ,40万しかなかったり,委託すら発注しなかったりですよね.
その辺の負荷も軽減されないものでしょうか?

業務委託設計書にない項目を作業依頼したり・・・
一体,どんな積算をすればこんな業務委託設計書が出来上がるのかと思わされることもしばしばです.

一部では,発注者サイドの事務屋が技術屋の作業内容を見て,「こんなことなら事務屋でもできることばかりではないか」とバトルが広がれるている官公庁もあるそうです.

近年の公共事業費削減が進む中,発注者と受注者の関係もまた見直す必要がある部分もあると感じますがいかがでしょう?

バカぼんぼんさん,
あなたのような方が発注者であれば,受注サイドもやりがいがあるでしょうが,そうでない発注者サイドの担当者の低意欲な姿勢も今サル側のぬるま湯付けにつながっている面を否定できますか?

データベース作成業務として,サーバーを委託設計書に事細かな仕様を指定しておいて,そのPCを納品する際,事務所に入ることなく事務所の駐車場で,その担当者の車のトランクへ納品と言う書き込みをここかよその掲示板で聞いたことがあります.

品質に関する意欲,公共事業に対する意識・姿勢に対しては,発注者も受注者も改める部分が大いにあると思っています.できることなら,お互いの立場からお互いを刺激しあえる関係づくりが望ましいと思います.その点からすれば,

>これからは,ミスを前提に受領していきます.

この一言は,良い関係づくりを図ろうとしない姿勢であることから,撤回して欲しい一言です.
あなたは,意欲の高い方と感じられます.
『自分以外の人間に多くの刺激を受けて成長し,
 自分以外の人間にも刺激を与えて育てることが出来る人』
として,頑張ってもらえませんか?



伏龍(ガリョウ)  ++.. 2005/03/07(月) 09:24 [1615]

 
そもそも、「指名競争入札」が原因。
一部自治体で実施している要件さえ満たせていれば入札に参加できる制度が定着すれば、「次回指名回避」により契約外業務を強要されることはほぼなくなる。
打合せ議事録が本来の公文書の役割を担うようになり、「このあいだはああいったけどやっぱりこっちでお願い」的な発注者側の要求は通らなくなり、極めてドライなビジネスに生まれ変わる。
工事設計書作成等、本来民間企業に委託すること等ありえないようなサービス作業もなくなる。

受注者側のスタンスとしては、こうした要求があった場合、「了解いたしました。早急に追加作業金額について御見積させていただきます」と返答することになる。

こうなった場合、発注者側も「発注者には技術力がないので専門のコンサルタントへ・・・」等という戯言は通用しなくなることを留意する必要がある。

技術力がないのなら、上記で触れられているように「照査業務」を別途委託(下記のように実際に既にこれをビジネスにしようとしている業者もいる)するしかないのは明らかである。

http://www.iijnet.or.jp/tec-jimu/bus/07.html

発注者の良きパートナー  ++.. 2005/03/07(月) 12:35 [1616]

 
伏龍(ガリョウ)さん、「これからは,ミスを前提に受領していきます」というのは、「良い関係づくりを図ろうとしない姿勢」どころか、これまでのやり方を根底から覆す勇敢な意思表明と受け取りました。
皆さんのお話を伺うと、これまでは、「受注者が納入したものに間違いがあってはならないし、実際に間違いはないはず」という大前提の下に、発注者はまじめにチェックもしないし、何か間違いがあれば全て受注者に押しつけておけばいいという姿勢に徹していたということのようです。
それが、「ミスを前提にする」ということは、当然ながら納入時に真剣にチェックしなければならないし、受け取ってしまったあとに間違いが発覚したら自らの責任として対処しなければならなくなります。
もちろん、それでは発注者はたまりませんから、事前にミスをしないような業者を真剣に選ぶようになるでしょうし、ミスが発生した場合の責任分担を明確にして契約書に明示しておいたり、保険への加入を義務づけるなどの自己防衛策を講じることになるでしょう。
発注者の良きパートナーさんが紹介された、独立した「設計照査業務」というのも一般的になるかも知れません。
なんだか複雑で大変そうですが、責任分担が明確になり、関係者それぞれがミスを防いだり適切に対処するインセンティブが生じるようになるでしょう。今までと比べると、先の見通しが立ち、努力が報われる世界に近づくように思います。これって楽観的すぎでしょうか?
バカぼんぼんさんには、「ミスを前提とした受領」の実現に向けての取り組みや成果を、ぜひともご紹介いただきたいと思いますし、できる限りの応援はさせていただきたいと思います。

社会科学者  ++.. 2005/03/07(月) 19:41 [1618]

 
バカぼんぼんさん、あんた自分で設計をやってみたら、たぶん単純梁も解けないでしょう?あんたの業務委託は受けませんから今後は自分でやりなさい!忙しいから出来ないといういい訳は通用しませんよ!

アホか  ++.. 2005/03/08(火) 03:00 [1622]

 
照査業務だけ発注している発注者もいますよ。しかも、もう3年目です。
私も年度末で超多忙な毎日のコンサルで、今年初めて「照査業務のみ」という業務を行いました。昨年度に納品された設計業務を照査しましたが、ミスというレベルではないようなミスが相当見つかりました。
受注した以上、照査まで完璧に行って提出するのが理想ですが、この年度末ではなかなかできないのが現状です。
この照査業務のみの発注は、単価が安いだけが問題ですが、結果として良い設計となる手法として有効だと思っています。
私の設計にミスはないと言い切れないですからね。

Woo  ++.. 2005/03/09(水) 12:48 [1629]

 
コンサルです。
馬鹿はあなたでしょ。
> バカぼんぼんさん、あんた自分で設計をやってみたら、たぶん単純梁も解けないでしょう?あんたの業務委託は受けませんから今後は自分でやりなさい!忙しいから出来ないといういい訳は通用しませんよ!
>
出来ないからコンサルが存在するんでしょう?
発注者は技術屋でなく,あくまで事務処理。
自分たちで設計する発注者もいますが,全ては出来ません。
別に単純ばり解けなくてもいいんです。
わかりやすく,良い報告書を作成すればいいのです。

KOU  ++.. 2005/03/10(木) 12:22 [1630]

 
KOUさん、そしてコンサルができないので次は、ゼネコンですか?しかも、無料で!あなたが一番分っていませんね!今までのコメントでみなさんが述べられているのは、最終成果を納品するまで、発注者は何を目的として協議をして、何をコンサルに指示していたのかということです。最終成果品の鉄筋かぶりのチェック程度なら、誰でも出来るでしょう。要は最終納品までに何を目的に協議してきたかという設計本来の目的を押さえているかということです。わかりやすく、良い報告書を作成するのは、それこそ、みんな実行していることです。KOUさんは役所が出来ないからコンサルがあると言いますが、その「コンサルが何も出来ない」とバカぼんぼんさんはあなたに言っているようなもんですよ。「別に単純梁が解けなくてもいいですよ」って、それでいい報告書が作成できるんですかまた、照査はどうするんですか?つまり、コンサルは今後も外注、ゼネコン、メーカーをうまく使ってまとめだけすればいいということですか?KOUさんもうそういう考え方は卒業して、もう1ステップ上へ行かないと、またコンサル不要論が浮上しますよ。とにかく、発注者にたいしても、ゴマスリ発言だけではダメですよ。
応援業務は飽きたぞ!  ++.. 2005/03/10(木) 12:50 [1631]

 
 応援業務は飽きたぞ! さんへ、KOUさんは、発注者が(能力不足で?)設計業務ができないので「コンサルタント」がやるんだとの意思表明をなされているとしか読めません。
 特に「別に単純梁が解けなくてもいいですよ」は発注者に対して(諦めの境地も含め)おっしゃっていると読めるんですが。
 もちろん、コンサルタントがゼネコンやメーカーを使ってまとめるなどとはどこにも書いていらっしゃいません。(そういう実態があることは知っていますが。)
違いますでしょうか?

天馬  ++.. 2005/03/10(木) 20:39 [1632]

 
 当方現在、会社で仮眠を終えたところであるが、年度末の忙しい時期にこのようなふざけたレスをたてれば、噛み付かれてあたりまえですよ、バカぼんぼんさん!それと、コンサル会社すべてがゼネコンに頼っているわけでもないですよ。地質調査業や計画を得意とするコンサルはあまりゼネコンの力は必要ないですから。詳細設計を主に手がけている会社がゼネコンの力を借りているだけです。それと、私も必要以上に発注者に話を合わせるのは賛成できませんね。技術者である以上全て五分と五分、同じ土俵で勝負しましょう。こっちも積算業務まですることがあるのだから、発注者も設計業務をたまにはするべきですね。コンサルと交互に業務を変えましようか?その方が全てにおいて良いでしょう。
サイボーグ  ++.. 2005/03/14(月) 03:16 [1633]





 地域の自立 
今日のサンデープロジェクトで横浜市の公共事業を取り上げていました。
大型プロジェクトに対して、地場中小の建設会社だけでJVを組み、大手ゼネコンに対抗してコンペに参加、というものです。
いつもならゼネコンの下で仕事をもらうパターンですが、あえてその道を選ばず、イバラの道、自立の道を選んだわけです。
資金、技術、人材、経験等々、殆どの面で大手ゼネコンに劣る中での挑戦は、「命がけだ」と中心企業の社長がコメントしていましたが、そのとおりでしょうね。このコンペに負ければ、下での仕事も回ってこないでしょうから。是非勝って欲しいものです。
このような横浜市での動きは、地域の活性化、地域の自立に大きく関わることだと思いますが、それもこれも中田横浜市長の強い呼びかけ、リーダーシップがあってのことです。
首長の真剣な取り組み姿勢が地場企業を動かした事例です。
やはり、地域が自立していくには、首長の強いリーダーシップが必要ということでしょうか?どちらにしても、地方分権に向けて良い動きだと思います。
2年前に、「ネットワークについて」というスレ(過去ログ参照)を立ち上げた時のことを思い出し、久しぶりにスレを立てました。

 
ガン  ++.. 2005/03/07(月) 00:06 [1611]

 
建設崩壊を出版した山崎さんのグループですか?私は地方建設会社が大手ゼネコンに対しJVで対抗するように、中小コンサルで大手コンサルに対抗するためのJVを構想(妄想)中です。笑。
一度山崎さんにも会いに行きたいと思っています。
飢えて死ぬのが本望なコンサルは知りませんが、私のような頭の悪い技術者には、これしか零細コンサルの生きる道は見えてきません。地方間競争の時代だというなら、地方行政と地方コンサル連合のJVだってなんだって、ルールにのっとって戦えばいいし、そのための規制緩和は徹底すべし!というのが、私の意見です。
 いけません、あの当時を思い出して血が沸騰してきました。
ガンさん、プロジェクトチーム作りませんか!!

魔法使い  ++.. 2005/03/07(月) 13:43 [1617]

 
ガンさん、面白い取り組みの紹介をありがとうございます。ただ、サンプロは見ていないので、よくわからない所があります。
「地場中小の建設会社だけでJVを組み、大手ゼネコンに対抗してコンペに参加」と聞くと、単純に元気が出てくるいい話のように感じます。
ただ、ひっかかるのは、「中田横浜市長の強い呼びかけ、リーダーシップがあってのこと」というところです。
自治体首長の呼びかけに応じてJVを組むような建設会社って、そんな受け身で大丈夫かな?と心配になりますし、全く歯が立たず負けてしまった場合に首長の責任だとか言い出さないかな?などと心配になってしまいます。
首長にしても、「呼びかけ」ぐらいはいいとしても、「強いリーダーシップ」まで行くと、「何を根拠にそんな市場介入をしてるの?」と疑問に思ってしまいます。これって「首長の暴走」じゃないのかな?と感じてしまうのですが、ガンさんはどの辺が「良い動き」とお考えになるのでしょうか?
魔法使いさんの「地方行政と地方コンサル連合のJV」というのも、そんなの有り得るのでしょうか?実際裏ではやられてることかも知れませんが、それを「ルール」として認めていいということでしょうか?
もしかしたら「ホリエモン時代の地域間競争」なのかも知れませんが、頭の固い私には理解不能です。どうかもう少しかみ砕いて教えていただけませんか?

社会科学者  ++.. 2005/03/07(月) 20:19 [1619]

 
社会科学者さん、少し言葉足らずだったかもしれませんが、中田市長の強い呼びかけ、リーダーシップというのは、具体的なプロジェクトに関して、ということではなく「横浜の価値を高めよう!それには地元が元気を出すしかない!」といった意味での強いリーダーシップです。すなわち、まちづくりに向けた首長のリーダーシップですね。
地場JVの中心企業の社長は、中田市長の対抗馬の選対委員長だったそうです。その人が、中田市長の有言実行に向けた真剣な取り組み姿勢に動かされた、仮に負けたとしても色々と勉強になった、というような意味のことを言っていました。負けても「市長の責任だー」とは(多分)言わんでしょう。
首長自らが、まちづくり、まちの価値を高めるために真剣に積極的に動き、その真剣さに職員や企業、市民が徐々に元気を出して動きだす過程が「良い動き」だと思います。
私の町もこれから単独でのまちづくりに取り組んでいかなくてはなりませんが、そういう中で、「首長の差」みたいなものをまざまざと感じてしまいました。
それと、魔法使いさんのJVは中小コンサル同士のJVであって、まさか「地方行政と地方コンサル連合のJV」ではないでしょう。でしょ?魔法使いさん

ガン  ++.. 2005/03/08(火) 00:01 [1620]

 
ガンさん、補足説明をありがとうございます。
リーダーシップというのは、そういうことでしたか。納得しました。たしかに、そういうリーダーシップを発揮できる首長はすばらしいと思います。
ところで、「「首長の差」みたいなものをまざまざと感じた」とのことですが、これはもしや、「立候補宣言」ですか?

社会科学者  ++.. 2005/03/08(火) 01:00 [1621]

 
いいえ、私が想定したのは地方行政と中小コンサルタントのJVです。笑。
目的は何か
地域間競争を勝ち抜くためです。地方(じかた)社会の実現のためといってもいいです。
そのための企画とプロジェクトの立ち上げです。いまは、第3セクターの失敗だらけで、見向きもされないようですが、だからこそ今がチャンスなのだと思っています。総無責任体制の三セクはいらないので、行政と民間で地方再生を実現するための活動に取り組めばいいと思います。そういうエネルギーにあふれた人材をスカウトすればいいですね。
 そのためには、年功序列を見直し、40歳から45歳でラインから外れた行政マンの給料は昇給停止します。その金で民間のアイディアあふれる人材と、新たな地域再生業務に取り組む原資にすればいいし既に一部の自治体は取り組んでいます。
 無論、ラインから外れた行政マンの他県への応募や合格後の一時休職は認めねばなりません。他県へ3年間出て行った行政マンが眼を見張るような成果を挙げる、それを聞いた元上司は真っ青、なんて、考えただけでワクワクします。一言で言えば個人の能力をフルに発揮させるためのシステム作りの一方法です。
 

魔法使い  ++.. 2005/03/08(火) 19:32 [1623]

 
「ホリエモン時代の地域間競争」
実に云い得て妙とはこのことで、イタダキです。

魔法使い  ++.. 2005/03/08(火) 19:43 [1624]

 
追伸、中小コンサルと言うよりは地場コンサルといったほうがふさわしいです。大手コンサルは当然ながら全国区ですので、金太郎総本舗か、着色剤を変えるか、いずれにせよ地域間競争を一手に引き受けることなど出来ないし、彼らは東京、大阪、名古屋といった大都市市場で戦えばいいと考えます。これらの地域は製造部門を再生すれば地域再生は十分可能ですが、財政力指数が0.2程度の地方都市は、製造業だけの再生では再生は出来ません。第一製造業そのものがあまり立地していない県もあります。
私はインターネットを使った6次産業(1次+2次+3次=6次)でわずか60万人〜100万人規模の地方なら、勝ち目はあると踏んでいます。

魔法使い  ++.. 2005/03/08(火) 20:02 [1625]

 
魔法使いさん、「地方行政と地方コンサル連合のJV」は文字通りですか?地域が一体となる、という感覚からすると有りかもしれません。
少なくても、今からの地方行政は企業的感覚が必要だと思います。
昨年、地域の仲間と一泊二日で「綾町の視察」に行きましたが、なんと2日間とも前田町長自らが案内をして下さったのです。感動しました。前田町長の印象として頭に浮かんだ言葉を挙げますと「バイタリティー」「明るい」「したたか」「中小企業の社長(トップ営業マン)」といったところでしょうか。
強いリーダーシップと多彩なアイデアで、「株式会社 綾町」を引っ張っている、という印象を受けました。
交流会で何人かの職員や住民の方とお話しましたが、すべての方が丁寧に名刺を差し出し、また笑顔で相手をしてくれました。普通、お役人から先に名刺は差し出しませんよね。まさに企業の営業マンですよ。前田町長の意思が十分に伝わっているのでしょう。
少なくても、よく言われる「親方日の丸的役人根性」(失礼)は全く感じませんでした。
町の価値を高めるために、町長を先頭に職員や住民が一丸となっているのが、大げさではなく本当に肌で感じました。明るいんですよ、みんな。すごいことだと思います。
社会科学者さん、私が町長にですか・・・なーんて考えるはずないじゃないですか(笑)ただ、我々の仲間内から出さないといかんかなー、なんていう話は出ています。
とにかく、既成の常識に捕らわれていたら特に地方は生き残っていけないかもしれませんね。

ガン  ++.. 2005/03/08(火) 20:28 [1626]

 
私の知っている範囲ではいくつかの県の技術士会はNPO法人化に向けて走り始めました。地域の社会資本整備を担うのは地域の技術士達でなければならないと考え始めたからです。その意味では、日本技術士会とは明確な線引きが出来ています。おそらく、東京、大阪、その他の大都市の技術士会とは活動方針も違うと思います。
魔法使い  ++.. 2005/03/08(火) 23:09 [1627]

 
うーん、魔法使いさんは相変わらず時代の先端を突っ走ってますね。ライバルはホリエモンですか?
ガンさんの紹介された「株式会社 綾町」も面白そうですね。今度勉強しときます。
どうやら、首長の資質として「リーダシップ」や「アイデア」あ「企業家精神」が求められるというのは、今ではほぼ常識になっているようです。あとは、古くからのしがらみをどう断ち切るか、首長にふさわしい人材をどうやって育てるか、あたりが今後の課題でしょうか。
ところで、「「親方日の丸的役人根性」は全く感じなかった」とのことですが、ガンさんの住む町ではよく感じられるのでしょうか?
今の世の中、行政改革やらNPMやら市場化テストやらで、役所の体質がみるみる改善されちゃってますから、この調子でいくと、「先に名刺を出さないお役人」とか「親方日の丸的役人根性」などは、10年後には絶滅していることでしょう。
そんななかで、昔ながらの役所体質を頑なに守り続けている自治体があれば、立派な伝統文化の保存活動になりますし、全国から見学者が集まっちゃって町おこしにもなるんじゃないでしょうか?
「へえ〜、これがあの『お役所仕事』ってやつか。うちの町でも数年前まではこんな風景が見られたのに、今じゃすっかりあか抜けちゃって面白くないねえ〜」なんて言われそうですね。
ガンさんの町ではそういう路線を狙ってるのかもしれませんね。絶滅危惧種に指定してあげたらいかがでしょうか。

さて、冗談はさておき本題ですが、自治体が地元企業を広い意味でのJVを組むときの具体的な形としては、「呼びかけ」「リーダーシップ」「アイデア」「企業家精神」などの理念的な活動に加えて、「新しいビジネスモデル創出のための実験的市場の創設」というのが、非常に重要で効果的ではないかと思っています。これについてはまた機会があれば書き込みたいと思っています。

社会科学者  ++.. 2005/03/09(水) 02:10 [1628]





 コンサルの瑕疵と責任範囲 
初めまして。七味と申します。
私の体験した設計上の瑕疵と、それに対する責任範囲について、皆様のご意見をお聞かせ下さい。
(内容)
・鉄筋コンクリート構造物の設計。
・設計計算(報告書)の内容については、問題は無い。
・図面作成において、計算結果通りの配筋とはなっていなかった。(ここが瑕疵)
・これに気付かずに、工事を発注。このまま工事完了。
・当役所は、土木の専門職であり現場技術員(民間からの施工管理人)もいる。
・当業務の資料を貸与資料として借りたコンサルが気づき問題となった。
(当社がとった行動)
・図面作成時における瑕疵および照査不足を認め、謝罪。(当然ですね)
・鋼構造物の技術士に相談をし、別の解析手法を用いて、再度構造計算を行う。その結果、安全であった。(再計算で用いた解析がむしろ現実的とのこと)
・役所に認めてもらえず、全額を当社負担で、再工事(撤去も含めて)するようにとの指示。
・当社全額負担で、工事を着工した。
(私の意見)
・図面作成における瑕疵は認めるが、それに気付かずに、工事発注をした側にも、瑕疵があるのでは。特に、素人では無く、専門職採用であり現場技術員もいた。
・別解析についての結果を認めるべきでは。(別工事との関係もあるため、認めたくないようであった)
・再工事を行う場合、当社が全額負担する必要は無いのでは。
以上について、皆様のご意見をお聞かせ下さい。

 
七味  ++.. 2005/02/11(金) 13:22 [1501]

 
 発注者側の技術士です。
 発注者側の瑕疵は0ではないですが、発注者の技術者がコンサルタントの瑕疵を発見できるとは思えません。
(特に地方自治体では職員が計画、積算、監督を同時進行で行っており、時間的にもほぼ不可能と思われます。さらに、そこまでの能力がある技術者はあまりいません。)
 なお、私は別解析による結果は認めるべきと考えます。
 ただし、別解析で安定する場合、もともとの解析方法の妥当性が問われます。(別の解析で安定するのであれば、当初の解析方法で設計した構造物は過大な安全率を持つことになる可能性があります。)
 したがって、御社が全額負担せざるをえないのではないでしょうか?

天馬  ++.. 2005/02/11(金) 20:57 [1505]

 
七味さんの書き込みから判断する限り、設計の基となる解析手法の選択を誤り、また、図面の作成段階でも計算結果とは異なる図面となったという致命的なミスです。チェックできなかった役所・施工業者にも責任の一端はあるとは思いますが、七味さんの会社に責任の大部分はあるのではないでしょうか?

また、別の専門家の解析結果を持って、役所に説明したとありますが、最初のミスで七味さんの会社の信頼は失われています。役所に何を言っても「ごまかし」としか思われません。天馬さんの書き込みにもあるように、当初設計の妥当性も問われます。もし、別の解析手法の妥当性を説明したいのならば、公的な研究所、土木学会・学識者等の第3機関から意見を役所に説明すべきと考えます。

ただし、別の解析手法の妥当性を説明し、仮に安全性が確認されたとしても、当初の設計と適正な設計を比較した際に、どこかに過大となる部分が発生すると思います。過大の程度に寄りますが、この場合でも、会計検査の指摘等あった場合、国庫に費用を返還すべきは、七味さんの会社となるのではないでしょうか?

ちなみに、七味さんの会社では、今回の事件を受けて、どのような再発防止策を取られたのでしょうか?私はそちらのほうが興味あります。よろしかったら、差し支えない範囲で教えてください。


ps.天馬さんへ
 発注者の技術者の能力の有無はともかく、その責任はありますよね。責任に見合うだけの「質」「量」を持った技術者の確保は、どこの役所でも共通の課題ですね。



お役所  ++.. 2005/02/12(土) 08:44 [1511]

 
コンサルタント勤務の技術士です。
設計会社(コンサルタント)が再(手直し)工事費を負担する必要は無いと思います。設計会社(コンサルタント)は、設計成果品を発注者に納入し完了検査を終えた時点でそれは、すべて発注者のものです。設計会社(コンサルタント)の義務は、瑕疵の修正までではないでしょうか。そもそも、設計委託費は、大雑把にいえばせいぜい工事費の1割程度のものです。それで、工事(事業)「全てを」保障すべきであるというのは、間違っていると思います。もし、そういう契約になるのであれば、工事までを保障できる保険の掛け金を設計委託費に盛り込むべきです。発注者が設計会社(コンサルタント)にその工事費を負担させているとすれば、それは「下請けいじめ」であり、(調べたわけではありませんが、委託といえども)下請法違反(少なくともその精神に)では無いでしょうか。
発注者側に照査する技術が無いことが、設計会社(コンサルタント)が全て責任をもつ必要があるに進むためには、それなりの契約が必要なのではないでしょうか。
設計会社が受けるべき罰は、もっときついことですが指名停止なり社会的に抹殺されるなりそういうことであるはずです。
このような、瑕疵にまつわる出来事やその顛末は、内容の質にもよりますが設計会社(コンサルタント)で実施設計にかかわってきた技術者(技術士)であればみな経験していると思います。
このように、出す必要のない工事費を出してすましているのは、設計会社と発注者両者が責任をとらず、公にしないで最小限に済ましているなれあいの現実なのだと思います。

会検請負人  ++.. 2005/02/12(土) 19:29 [1517]

 
申し訳ございません。名前を書くのを忘れました。
若手の川屋  ++.. 2005/02/14(月) 18:08 [1531]

 
設計の世界を知らない者として言わせてもらえば、誰が責任を取るか以前に、このようなチェック体制の中でモノ作りが行われているのかと思うとゾッとしますね。今回は貸与資料として他のコンサルに貸し出したことでたまたまミスが発見されたわけで、貸し出さなければそのままだったわけです。このようなミスがごく稀なことだとは思えませんので、それらが発見されずに施工されている例が結構多いのではないでしょうか?
普通に考えれば、設計コンサルに施工後の責任まで負わせるのは酷のように思いますが、その半面、過分の責任を背負うことによりチェック体制も強化されるような気もします。会検請負人さんの「・・・社会的に抹殺・・・」はちょっときついような気もしますので、今回のような再工事の費用負担といった「お金」を背負うほうが現実的かもしれません。
どちらにしても、このような瑕疵については個別の契約書で定めていないのでしょうか?
我々の業務では、多くの物件で瑕疵の条項がありますよ。
どうなんでしょう?

ガン  ++.. 2005/02/16(水) 21:41 [1539]

 
コンサル勤務の者です。
 お役所さんのご疑問に対してですが、当社の場合は、大手ゼネコンの方に数名きていただき(中途採用)、設計図面を全てチェックするようしています。ここ数年、大手コンサルは同じじゃないでしょうか?
 但し、コンサルにそれなりの責任を・・・・となれば、会計請負人さんのおっしゃるように、コンサルに対する発注額を再考頂きたいものですね。


ポート屋  ++.. 2005/02/16(水) 22:20 [1540]

 
本業務において、通常の工事同様、契約書に「瑕疵担保」は規定されているとすれば、コンサルタントが賠償すべきは、設計に要した費用の範囲だと思います。やりなおし工事に対する費用をコンサルタントに費用負担を求めるならば、裁判等で損害賠償請求すべきと考えます。

いずれにしろ、本件のような間違った設計業務は、業務成績評定を再評定して60点以下となり、結果としてそのコンサルタントは指名から外れていくこととなるでしょう。

とおりすがり  ++.. 2005/02/18(金) 11:03 [1546]

 
>RCCM試験合格者(道路、施工計画・施工設備及び積算)としての意見を述べます。
 公共土木設計業務等標準委託契約約款と同じ約款で契約されていれば、
「契約の目的物に何らかの欠陥があったときは、その瑕疵の修補を請求し、又は修補に代え、若しくは修補とともに損害の賠償を請求することができる。」
又、「請求期限は3年、重大な過失・故意の場合は10年」です。
損害賠償の請求がどの範囲か、ですが、この場合は再工事の費用までも請求できないと思いますが裁判で決着ですね。
H13RCCM試験問題瑕疵担保に関連した択一問題が出題されており、抽出して下記に記載します。
@発注者によるかしの修補又は損害賠償の請求については、特に期限は設けられていない。
A受注者のかし担保責任をカバーするため建設コンサルタント賠償補償制度が設けられている。
@は×(請求期限は3年、重大な過失・故意の場合は10年)、Aは○

aoki  ++.. 2005/02/18(金) 12:52 [1547]

 
私も同様の経験をしたので、そのときの対応策と今回の瑕疵と責任範囲について発言させていただきます。
先ず、私の経験ですが、施工業者側として設計照査を行ったのですが、計算書の結果が一部施工図に反映させられていなかったことを見逃しました。土圧を受けるRC構造物だったので土圧を軽減する工法を採用していただきました。費用に関しては100%はかぶりませんでした。
さて、七味さんの件ですが他の補助工法(補強等)選択肢は無かったのでしょうか?RC構造物を全撤去再構築とは自然にやさしくないですね。
瑕疵は、設計業務に関しては七味さんのところが大と思われます。しかし、それに伴う工事費を七味さんのところに全額負担させるは不当ではないでしょうか?なぜなら、発注者は図面だけ納品されたわけでなく十分そのミスを発見できる資料を有していたわけですから。
天馬さんのご意見の中で”発注者の・・・瑕疵を発見できない”旨の記述がございますが、発見できないまま構築された構造物を利用する一般人々に対する発注者の責任はどうなるのでしょうか?もしも、発注者側に技術者が居ないのであれば、施工業者に設計照査を義務付けるか、他のコンサルタントへ設計照査を発注すべきではないでしょうか?今後性能規定型発注に移行した場合、そのようなシステム作りが必要と思われます。

ある技術者  ++.. 2005/02/19(土) 12:37 [1550]

 
皆様、貴重なご意見、誠に有り難う御座います。
やはり、設計業務に於ける瑕疵は、どんな内容だろうが、重大だということを、再認識いたしました。
この事例での構造物は、公園内の管理道路下に設置した集水桝で、側壁をラーメン構造で解くか、三辺固定版で解くか程度でした。やはり、皆様のご指摘通り、私も構造解析の手法を変えた事は、技術者として後ろめたいものがありました。が、工事費を全額負担するかどうかとなると、会社側としても、安全である証明をしたかった訳でして・・・。

お役所さまへ
それ以来は、小さな業務においても、ペーパーに於ける照査を行い、納品時では、発注者側の担当者に時間を十分にとってもらい、重要な事項については、読み合わせを行う様にしています。


七味  ++.. 2005/02/19(土) 13:09 [1551]

 
  ぅーむ、公園の集水桝でしたか・・・・小生は、橋梁下部工か或いはボックスカルバートかと心を痛めておりましたが・・・・集水桝とは・・・・、それならば、解法はラーメン構造としようが三辺固定版としようが、どちらでもよろしいのではないでしょうか。
 ぅーむ、集水桝でしたか・・・・
 決して集水桝であるから、どうだと言う訳ではありませんが。
 だが、何かの本で読みましたが、実験では誰でもニパーセントのミスは避けられないとの結果が出たそうです。照査を担当者だけに負わせるのではなく、ミスを防止するために、組織全体でレビュー・チェック体制を整える必要があるのでしょうね。
 それにしても、集水桝とは・・・・・ぅーむ・・・・不幸中の幸いと喜ぶべきか・・・・。

アル中技術士  ++.. 2005/02/19(土) 14:37 [1552]

 
なんやそれ!
オチがついてるやんけ・・・!

イヤー笑わせてもらいました。
おあとがよろしいようで。

キットカット  ++.. 2005/02/19(土) 18:06 [1553]

 
たいした問題でなくて良かったですね。
ところでこの問題は、「土木」「建築」「学」の入り混じった瑕疵問題である一昨年の朱鷺メッセデッキ落下事件が大変な展開をみせています。暇な人は下記のホームページをみてみてください。構造関係で総監を受験される方には良いネタになるのではないでしょうか。
http://www.pref.niigata.jp/gateway/messe_jiko/index.html
http://www.kurosawakensetu.co.jp/
http://www.asdo.jp/FS-APL/FS-BBS/index.cgi?Code=main-bbs

会検請負人  ++.. 2005/02/20(日) 11:54 [1558]

 
当方の在籍する会社は,かつて橋梁下部工の設計計算上のミスで設計費の10倍近い工事費を支出した経験があります.
某幹部社員によると,法的には払う必要はないと思うが,会社としてはそのような事態にも対応できるという姿勢をみせたんだそうです.
集水桝というオチはさておき,気付いた点を書かせて頂きます.

1.発注者側にエンジニアがいようがいまいが,瑕疵の責任は設計者にある(0:100でないにしてもほとんど設計側でしょう)
2.瑕疵担保額は業務受託費(設計費)の範囲,とするのが社会通念上は妥当で,それ以上は損害賠償訴訟などによるのでは.(すみません,法的根拠なしです)
3.しかしながら,役所との関係を考慮して「実費払い」で手打ちしたようなものでは.一種の示談ですね.
4.今後,性能設計などが進むにつれて,設計額の引き上げと共に瑕疵における損害の全額補償が一般化する,というのが正しい姿ではないでしょうか.(瑕疵担保保険も必要です)
5.詳細な解析結果による安全性は,技術者としては受け入れられるし,受け入れることが社会資源を無駄にしない最良の方法だと思います.
蛇足ですが,発注者が使用を認めるような既存の指針等による設計手法は,一般に設計の標準化を目的としたきた経緯があり,かなりの安全率を含んでおり,詳細に解析すれば基準どおりの設計は余裕がある,という結論はある意味当然で,設計者が元の設計手法の選択を間違えた,とは言い切れないと思います.
強いて言えば「技術の進展に伴って,コンセンサスを得られる設計手法も変化する」という副産物的教訓を発注者にも得て欲しいですね.
(新技術導入にももう少し,前向きに検討していただきたい)

Doc.  ++.. 2005/03/01(火) 16:35 [1604]

 
> 当方の在籍する会社は,かつて橋梁下部工の設計計算上のミスで設計費の10倍近い工事費を支出した経験があります.
> 某幹部社員によると,法的には払う必要はないと思うが,会社としてはそのような事態にも対応できるという姿勢をみせたんだそうです.
> 集水桝というオチはさておき,気付いた点を書かせて頂きます.
>
> 1.発注者側にエンジニアがいようがいまいが,瑕疵の責任は設計者にある(0:100でないにしてもほとんど設計側でしょう)
> 2.瑕疵担保額は業務受託費(設計費)の範囲,とするのが社会通念上は妥当で,それ以上は損害賠償訴訟などによるのでは.(すみません,法的根拠なしです)
> 3.しかしながら,役所との関係を考慮して「実費払い」で手打ちしたようなものでは.一種の示談ですね.
> 4.今後,性能設計などが進むにつれて,設計額の引き上げと共に瑕疵における損害の全額補償が一般化する,というのが正しい姿ではないでしょうか.(瑕疵担保保険も必要です)
> 5.詳細な解析結果による安全性は,技術者としては受け入れられるし,受け入れることが社会資源を無駄にしない最良の方法だと思います.
> 蛇足ですが,発注者が使用を認めるような既存の指針等による設計手法は,一般に設計の標準化を目的としたきた経緯があり,かなりの安全率を含んでおり,詳細に解析すれば基準どおりの設計は余裕がある,という結論はある意味当然で,設計者が元の設計手法の選択を間違えた,とは言い切れないと思います.
> 強いて言えば「技術の進展に伴って,コンセンサスを得られる設計手法も変化する」という副産物的教訓を発注者にも得て欲しいですね.
> (新技術導入にももう少し,前向きに検討していただきたい)

・設計ミスをして、責任がないなんてことは甘い!そんなむずかしい設計でなく、通常の土木構造物で設計で飯を食っていて恥をしるべきだ。所詮役所相手に仕事をしている業界の体質である。また、役所の天下りも原因、特に最近不況で従来天下らなかった弱小コンサルに再就職するものだから、後輩も指名にいれないとダメだし。天下りも一因!ミスをすれば、手直し工事費の負担は、契約条項に関係なく、負担すべし!

バカぼんぼん  ++.. 2005/03/06(日) 23:18 [1609]